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ささやかな復讐---異邦人(イギリス ハワースへの旅)
これは、わたしが若かったころの旅の思い出である。忘れてしまう前に形にしておきたく、ここに記しておこうと思う。
その人に会ったのは、ヒースの花の終わる季節。
『嵐が丘』の舞台へ向かうバスの中でのことだった。
ロンドンの或るターミナル駅近くから出発する、長距離バス(Coach・コーチ)での出来事だ。
朝8時とか9時ぐらいだっただろうか。わたしはコーチに乗り込んで、発車時刻を待っていた。
車内がだんだん混んできて、座席が八割がた埋めつくされたころ。テンガロンハットをかぶった初老の男性が乗車してきた。
男性は、わたしの一つ前の座席で立ち止まって荷物を降ろすと、こちらに向かっておどけた顔で、
「モーニングテニス、ピンポン!」
と言い、いつ取り出したものか卓球のラケットを、一度だけ素振りしてみせた。
身なりは、それほど良くはない。上着には虫に食われたような穴がある。
発車時刻が近づいて、車内は帰省客っぽい出で立ちの人々で、満席に近くなってきた。
それでも、みんな異邦人は避けたいものなのか、わたしの隣と、通路を挟んだ向こう側の通路席は、申し合わせたように空席である。
そこに、お母さんと幼児が手を繋いで乗ってきた。
二つ並んで空いている座席はどこにもなく、わたしは通路をはさんで反対側の通路席へ移り、お母さんと男の子は、先ほどまでわたしがいたところに並んで座った。
テンガロンハットの男性は、子供を見ると後ろ向きに姿勢を変えた。
といっても椅子をクルっと回せるわけではない。どうやって後ろを向いていたのか今となっては定かでないのだが・・・椅子の背があるから、おそらく両足を通路側に出して、いくぶんか辛い体勢をしていただろう。
走るバスの中で、男性はずっと男の子に向かって話し続けた。
「あの青いお空には、天使さまが、いるんだよ」
そう言って、
「トゥインクル、トゥインクル、リトルスター」
と、『きらきら星』を歌いだす。
男の子はニコニコとして、おじさんの歌を聴いていた。
「この可愛いあんよ(足)、可愛いあんよ」
と、両足を持ち上げて(好き好き)の仕草をすると、男の子は嬉しそうにカラカラと笑った。
***
停留所に着くたびに何人かずつ降りていき、やがてその親子も、優しいおじさんに「バイバイ」をして降りていった。
おじさんはまだ先まで乗っていくようで、わたしの隣の空いた座席を指して、「そっちに行ってもいいか?」と訊ねてきた。
「あんたな、さっきあの親子に席を譲ってやっただろ。そのときに、(いいヤツだな)って思ったんだよ」
と、今度はわたしを相手に話し始める。そうはいっても、わたしは英会話が得意ではなく、もっぱら聞いている一方だったと思うが。
「どこまで行くんだ?」
「ハワースまでです」
「お!? すごい偶然だな! おれも同じだよ。じゃあ次の停留所で下りちゃダメだよ。その先の停留所まで乗っていって、そこで乗り換えだ」
しかし、わたしが持っていた乗車券は、次の停留所までのものだった。
事前に行き方をしっかり把握しておらず、間違って手前の分までしか買っていなかったのだ。
「チケットが、次の停留所までなので・・・」
困惑してそう言うと、
「そんなのは、別にいいから」
傍に居合わせた乗務員さんまでもが、一緒に声を上げた。
そんなのは別にいいから、乗ってけ、乗ってけ。
「それにしても、あんた、なんでいつも笑ってるんだ?」
「・・・? 笑ってませんけど?(タレ目なだけです)」
このようにして、わたしたちは旅の道連れになった。
***
おじさんはハワース出身で、オーストラリアに移住して暮らしているのだという。
聞けば、わたしの父と同い年だった。甥っ子さんに会うためにイギリスの故郷へ帰ってきたそうだ。
二人で何を話したのか、もうほとんど記憶にない。もしかしたら、リスニングできていなかったのかもしれない。
ただ、聖書の豆本を取り出して、わたしに見せてくれたことは覚えている。表紙の裏に、オーストラリア国歌の歌詞を手書きしてあるのだと言った。
その小さな聖書は、旅する時に持ち歩いているものなのだろう。
他にも、もう一つ覚えていることがある。
「ところで、あんた・・・」
「はい?」
「あんた、台湾から来たんだろ? そうだな?」
ハッとした。その問いには何かがあることに、気づいたからだ。
「・・・いいえ・・・・・・日本人です」
すると、おじさんは急に顔色を変え、あちらを向いて口を閉ざした。
先ほどまであんなにおしゃべりだったのに、明らかに態度を変えて、何も言わなくなった。
二人とも沈黙したまま、コーチは走る。
どのぐらい経った頃だろう? すごく長い時間だったような気もするし、10分ぐらいかといえば、そのくらいだったようにも思われる。
とにかく、居心地のわるい無言の時間が続いた後に、こう言ったのだ。
「オレのおじさんな・・・フィリピンで、日本兵に囲まれて殺されたんだ」
そう言いながら、両手で銃を撃つ仕草をした。
それはちょうど戦後50年にあたる1995年の9月で、ひと月まえの8月15日には、 VJ DAY(対日戦勝記念日Victory over Japan Day)の盛大なお祭りが、ロンドンで催されたばかりだった。
大々的なお祭りで、TVで実況中継もされていた。夜にはボンファイヤーという催しがあり、わたしはホストファミリーの友人から、「これからボンファイヤーに行ってくるわよ」と、からかわれたりしたものだ。
悪意があったわけではない。それでも、こちらとしてはどう振舞えばいいのかわからなかった。
勲章っぽいものをたくさん身につけて、杖をついて歩く高齢の男性からギロリと睨まれたりもした。ベテラン軍人だったのだと思う。
わたしはコッソリ、おじさんの目を盗み見た。
その目は、真っ赤に濡れていた。
そしてその目を見たとたん、つい「Sorry」と言ってしまったのである。
そして、そう言うのと同時に(Sorryって、なんか違う)と、違和感がわき起こった。
Sorryは違う。だけど・・・じゃあ何なのだろう? 何と言うのが正しいのだろう?
おじさんの気持ちはわかる。日本人が申し訳ないことをしたとも思う。しかしこの違和感は、どこからわいてくるのだろうか。
「わかってる。戦争中は何だって起こりうる。わかってる」
そう言うとおじさんは快活さを取り戻し、また元のように話し始めた。
***
コーチの乗り換えターミナルでは、大勢の人が行き来していた。
待ち時間のあいだ、おじさんは居合わせた中学生ぐらいの少年に話しかけたり、わたしをお手洗いまで案内してやるようにと少年に命じたりした。
わたしは見ず知らずの少年と一緒に(二人ともほぼ無言で)、お手洗いを探すことになった。不思議な縁である。
そして戻ってきたときには、自身と同世代らしいご婦人方をつかまえて豆本の聖書を読んで聞かせているのだ。ここでも、表紙の裏にオーストラリア国歌の歌詞を書いてあるのだといって皆さんへ披露した。
ハワースに着いたのは、夕方ごろだったろうか。
もっともイギリスは薄曇りのことが多いから、もう少し早い時間だったかもしれない。
スマホも無い時代だし、その頃のわたしは時計を持たずに旅する主義で、時間にはこだわらずになりゆき任せの旅をしていた。
バス通りの道端に降りると、傍らに昇り階段がある。その狭い石の階段を、おじさんはスーツケースを上から引っ張りあげ、わたしはそれを下から押して、少しずつ上っていった。
階段の上はハワースの目抜き通りだ。
ここには、「嵐が丘」や「ジェーンエア」を書いたブロンテ姉妹の、お兄さんが入り浸っていたことで有名なパブがある。外にテーブルが出されていて、そこで一緒に飲みながら甥っ子さんが来るのを待った。
やがて、30代ぐらいの男性が来ておじさんの肩を叩いて振り向かせ、二人はお互いをみとめ、抱き合った。
「あんた、うちまで来るか? 夕食、ごちそうするよ」
別れる間際に、そう言った。
わたしは首を振って、
「いいえ、行きません」
と答えた。そうとしか答えられない自分が、悲しかった。
甥っ子さんがムッとして何かを言いかけたが、おじさんが押しとどめ、
「もう、いいから、いいから」
こちらを振り返ることもなく、うながして歩を速めてゆく。
「じゃあ、また・・・」
その背中に向かって言うと、おじさんは、ふっ、と立ち止まり、
「じゃあまた、天国でな」
少しだけ顔を後ろに向けたが、決してこちらの顔を見ようとはしなかった。
申し出を断っておきながら、「じゃあまた」などと言ったのは、わたしの軽薄さの現われだ。
二人が軽トラに乗って去っていく後ろ姿を、当時のわたしはホッとしたような、情けないような複雑な心もちで、突っ立って見送ったことをおぼえている。
***
もう、あのおじさんに会うことはない。
ハワースへ行こうが、オーストラリアへ行こうが、会えはしない。
またいつか、どこかで会いたいものだ。
わたしたちが持っている神さま(と仏さま)は、違うけれど。
おじさんがいるだろう天使さまの世界と、わたしがいるだろう場所(願わくは極楽)は、魂のレベルでは、隔てなど無い気がする。
『どこでもドア』みたいなもので繋がっているのではないか?
その天使さまのいる世界を訪ねて、「あれからこんなことがあったよ」「英語、ちょっと上手くなったでしょ?」と、聞いてもらいたい。
そして、なぜオーストラリアへ移住したのか、甥っ子さんに会いにハワースへ旅したのにはどんなわけがあったのか、いろんなことを話したい。
わたしが違和感をもったあの件についても、今度はきちんと伝えたいのだ。
日本人として。
そのために、戦争のことを英語で話せるようになっておきたいと思う。
・・・もしかしたら、魂だけのレベルになると、言葉なんて必要なくなるかもしれないけれど。
時々は、わたしの(願わくは)極楽にも迎えてあげて、日本のご飯やお饅頭で、おもてなしできるだろうか?
少し年をとると、旅で出会った人を、懐かしく思い出す。
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右下の焼いたような日付が時代をものがたる(?)
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色がくすんでいるのは、盛りを過ぎているため。
花の見ごろは8月まで。
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(了)