短歌:分別
タイトルは、「ふんべつ」ではなく「ぶんべつ」です。「ゴミの分別」の方です。
このふたつの言葉、どうして同じ漢字なんでしょうね。なんか可笑しい。
現在の自宅に住みはじめてからほどなく、自治体のゴミの分別が厳しくなることが決まりました。そして、自治体全体が移行する前に、自宅地域が先行モデル地区となりました。
それまでの自治体の分別基準は大変アバウトだったので、移行に伴い、住民の心理的負担はけっこうあったであろうと思います。
ゴミの日には、ゴミステーション(※ゴミ集積所のこと)前に見張り番がいて、分別状況が怪しいゴミ袋を持参した住民は、漏れなくそこで分別のやり直しをすることとなりました。あれはコワかった!
いまでも、あの見張り番は自治体からの指示だったのか、町内会の自主的な活動だったのか、わかりません。後者だったらなかなかなものです。
煮詰めてジャムになるはずだったものは燃やせるゴミで正解ですが、ジャムにもならなかった悩みごとも燃やせるゴミでいいんでしょうかねー(笑)
ちょっと、昨日のエッセイの続きです。
わたしが長い間どうにも処分することができずに抱え続けている感情類は、正に煮詰めても何の役にも立たないものです。
感情を供養しようという考えに至ったのは、燃やせるゴミにすることもできなかったからかな。そんな気がします。
でも、短歌という表現手段に行き着いて、よかった。なかったことにするのは、忍びなかったので。
出来上がる短歌が美しいか美しくないかは問題ではありません。57577という枠(はみ出しも多いですが)に嵌めるために感情と向き合うことになるので、廃棄するよりは確実に感情の整理になるのです。
この短歌は、短歌マガジン(次世代短歌)@tankazine 主催の【一文字短歌】11/21 一字題「煮」に投稿したものです。