短歌:自棄
一昨日、昨日、今日と、続きもののようになっています。
依存していたものを手放す局面で、まあまあこういう心理状態になってしまうことは不思議ではありません。
二ヵ月ほど前に、似ている歌を載せています。
前は「忘れたくなかった」のに、たぶん状況が悪化して、今日の歌は狂うことを許容している。さらに君のことを「忘れたい」と必死に願っている。
わたしは、自分の記憶のメカニズムにやや難があることを自覚しているので、忘れたら困ることについては外部記憶装置に頼っています。じゃないと、その情報が必要になったときに絶対に思い出せないから。生きている間にだんだんと利口になっていくのです、人間という生き物は。
若い頃、シャーロック・ホームズの記憶法を実践できないか挑戦したことがあるのですが、わたしには難しかったー。トレーニングが足りなかったのかもしれませんが、そもそもの記憶容量が違う気がします。
でも、この記憶法の実践者で有名なのはホームズに加えてレクター博士なので、どちらも架空の人物ではないですか。実在で使いこなしている人っていないかしら。ちなみに、その記憶法である「記憶の宮殿」について、詳しいのはこちらです。
歌を作っておいて自分で言うのもなんですが、わたし自身はこんな風に、狂ってしまうほど忘れたいなんてこと、この先も起きないだろうと思っています。そこまで感情が振れません。何度も書いていますけれど。
でもある意味、このくらい激情できる方が人間らしくていいなあ、とも思えるのです。
だからわたしは、短歌という創作の世界で、100%の妄想をもとに作歌してしまうのでしょう。
… 一応言い訳ですが、100%の妄想ベースじゃない方が圧倒的に多いですよ。
生まれ変わったときは、もう少し感情の起伏がある人間でいたいものです。
… あ、違う。生まれ変わったら飼い猫になるんだったわ(笑)