短歌:理由を知りたい
この短歌は、短歌マガジン(次世代短歌)@tankazine 主催の【一文字短歌】11/25 一字題「笑」に投稿したものです。
何度かエッセイにしていますが、わたしの両親は少々風変わりでした。夫婦揃って息の合った風変わりさではなく、ばらばらに風変わり。亡父は家族に興味がない仙人で、母は、なんというか、不思議ちゃんが大人になったような人で、そのまま老人になりました。
その不思議ちゃん母の教育方針には、いま考えれば不思議で不思議で意図がまったくわからないものがいくつもあったのですが、そのうちの最たるものが、
「笑うと叱られる、咎められる」
というものでした。
これは、他人を嘲笑うとか大声で笑うとか、そういうことを咎められたのではなく、笑顔、微笑みを咎められたのです。変でしょ?
人前で笑顔になると、きまって、
「笑ったらおバカさんに見られるでしょ」
と、言われました。
これが枷になり、わたしは笑えない人間になりました。前の職場では、「笑わない人」でちょっとばかり有名でした。微笑み方がわからないのです。つい笑ってしまうと、顔を隠すのが癖です。いまでも。
そして、現在も意識的な笑顔は不得意中の不得意。笑えないのですよね。
これは、わたしの成長にとても大きな影響を及ぼしました。笑顔で写った写真は皆無で、自分の結婚式関係の写真でも、わたしは笑っていません。常に真顔です。
何年か前に、なぜそういう躾をしたのかを、やっと本人に問うことができました。わたしとしては大変心の労力を使ったのですが、母曰く、
「あなた、そういうことを言って私を困らせるけどどうして? そんなこと、覚えていないよ。お姉ちゃんは絶対言わないよ、そういうこと」
いや、困らせられたのは、なんならいまでも困らせられているのはわたしの方なんですけど。こんな重要なことを、なぜ覚えていないのか不思議です。母にとっては、さして重要なことではなかったのでしょうね。わたしは、人生の節目節目でけっこう困りましたけどね。
蛇足ですが、姉に確認したところ、姉は母からそのような不思議な躾をされたことがないそうで。
...わたし、笑うとよっぽどかわいくない子どもだったってことでしょうか。
こんな母にいまだに振り回されているわたしですが、母が死ぬまでわかりあえることはないという自信がありますし、その必要性もないと考えています。
クリスマスに重たい話で失礼いたしました。