短歌:似て非なる
弁解(言い訳)と弁明(説明)の差はどこにあるのでしょうね。
ドラマでも小説でもマンガでも、
A:「ちょっと待って、説明させてください」
B:「言い訳は聞きたくない!」
的な場面は、よくあります。おそらく、実生活でもよくある場面かと。
これは、Aが原因で起きた事象に対して、Aは正当性があると思っているけれど、Bは正当性はないと思っているってことですよね。いわゆる"No excuse!"の状態。だから、そもそものスタンスが違う訳です。平行線。
確かに、起きてしまったことは起きてしまったことなので、どんなに正当性があったとしても、その後どうなるかには関係ないのかもしれません。結果がすべてってことで。でも、それを生み出した経過というものは、経験値になるのでおろそかにできません。
以前仕事をしていたとき、後輩の弁明は聞くように努めていました。それが例え弁解、つまり言い訳ありきであったとしても、まずは聞く。褒める/窘める/指導するのは、全部聞いたあとで。
自分の失敗のときは、できるだけ弁解せずにいました。ただし、原因究明のための説明はしました。きれいごとかもしれませんけれど。
ずいぶん長いこと働いた気に入った仕事だったのですが、人間模様はけっこうハードで、個性的な人がわんさかいました。たぶん、わたしもそう思われていたと思いますけれど。
疲れたのは、討論と口喧嘩がごっちゃになる人、そして、失敗の説明はすべて弁解(言い訳)と捉える人、でした。このタイプが上司にいると、なかなか厄介。上下関係があると、簡単に利害関係に繋がりますから。
恋人とか夫婦とかの関係でこの手の諍い(適語かどうかわかりませんが)が発生したら、腹は立ってもとりあえずお互い自分を説明した方がよりよい結果に繋がると、わたしは思います。ただし、相手もそういう考えをしていないと、冒頭のような不毛な会話になる訳です。平行線。
大丈夫、別に喧嘩していませんから。