【盛りぢや花に坐浮法師ぬめり妻】日本人と花見
盛りぢや花に坐浮法師ぬめり妻
芭蕉が、38歳の時によんだ句である。
坐(そぞろ)とは、心が浮き立つことである。桜の花を見に外出する人々の、表現だ。僧侶さえ、浮かれてしまうと。ぬめりとは、恋に身をこがす意味の言葉で、主に女性に対して使われていた。
花見が、みんなみんな、楽しかった。
花見の場には「境界性」があった。
故に、異なるものたちが混じりあう場だった。
今回はそんな話。
日本の「花見」は、奈良時代~平安時代にはじまった。当初は貴族だけの楽しみであったものが、江戸時代には一般大衆にも広がり、できあがっていった文化だ。
封建制度の一つである、幕藩体制であった江戸時代。農民たちは大名に管理され、その大名たちもまた、幕府に支配や管理されていた。
例
武家諸法度(大名用のルール。武芸と学問に励め、居城の新築はするな、結婚は幕府の許可制)
江戸時代の人々は、経済外的強制、すなわち、経済システムによってではなく強制力によって、統治されていた。
そんな中。満開の花の下で飲み食いをし、歌をうたい、時には仮装もした。人々は、花見の場で、自由な時間と交流を楽しんだのだ。
無礼講の由来かとも思うが。無礼講の概念は古代からあり、語源は鎌倉時代にあるそうだ。
① 都市部と農村部の境界線かつ接点
花見の「花」とは桜のことだ。
桜は、風雅の伝統をあらわす、京の花であった。そのことから、文化の発展や都市の繁栄の象徴である、ととらえられた。さらなる発展、より一層の繁栄をと、桜はたくさん植えられた。
たとえば、飛鳥山は「きさらぎ、やよいの頃は 桜花爛漫として尋常の観にあらず」と呼ばれた。
しかし、桜の役割は、都市部にだけあるのではなかった。
農村においては、そもそも花は、稔りの前兆であった。花は、冬から夏に変わる間(春)の象徴だ。
苗代桜(なわしろざくら)は、農作業開始の指標とされた。桜の咲き具合で、年の豊凶が占われたりもした。
当時の花見の名所は、向島、上野、飛鳥山などであった。これらは、江戸の地図の、最も外側に描かれていた(江戸の町を囲むように)。
花見の名所とは、都市部と農村部の境にあったのだ。
野草を摘む商人に、農民が、食べれる種類を教えた。小判を珍しがる農民に、商人は、貨幣について教えた。そのような記録が複数残っている。
都市に住む人々と農村に暮らす人々が、花見を介して、交流していた。
② ノーマルな自分とアブノーマルな自分、転換
女たちは、普段より豪華な着物(ハレ着)で、花見へ行った。
江戸時代後期の花見では、おそろいの装いをする人々による行列や、仮面や仮装をした人々もいた。その仮装には、男女の入れかわり、上位にある者のパロディなどがあったそうだ。
価値転換の遊びである。
浮世絵や日本画に見られる、江戸時代の仮装には、目を見張る。どのように楽しかったのかを想像する時、現代の私たちは、「ハロウィンの夜の渋谷」でも思い浮かべようか。
レヴィ・ストロースは、仮面は社会の間のすぐれた仲介者、仮面は超自然と混ざった自然そのものーーという解釈を語っている。
規定される価値観や、政治による規制などからの、一時的な解放の場。それが、花見の場であった。
③ 生と死の境をまたぐ
これは、日本に限ったことではないが。花は葬儀に用いられる。花は墓に供えられる。
花は “あの世” へも渡れる存在であるーーそんな風に、思われやすいのかもしれない。
放映中のアニメ「地獄楽」でも。極彩色に咲きほこる花々が、その重要なイメージとして、描かれている。
時代を問わず、満開の桜に囲まれた道の往来は、まるで、この世とあの世を行き来するかのよう。
文化的儀式によるイメージから、生と死の境、そこにはよくよく、花が咲いており。
④ 秩序の中の混沌
花見の場では、必ずと言っていいほど、酒が呑まれた。酒の酔いは、人々の感情抑制を弱め、それまで隠されていた性情を表出させる。
「花の山 抜いた抜いたが 嵐山」
「下戸共は 下がりらうと 花の山」
このような川柳が複数残されている。
花見の場では、酔っぱらいの張りあいや喧嘩は、容認どころか期待されていたようにも見える。
ぱっと咲いてすぐに散る桜は、我々日本人の文化や心情に、あっているように思う。
一時遊んだら、また日常に戻って、淡々と働く。切りかえ。それを得意とする私たちに。
つかの間の、身分の差を忘れた交流・固定観念からの解放・非日常的な体験・ハメを外して騒ぐこと。
花見は時の境をも超えて。
日本人の遊び心、桜と共にあり。
参考文献
https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/Default.htm#no3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%A4%BC%E8%AC%9B
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/22/0/22_49/_article/-char/ja/