隠家静研

自分で自分を救うために文章を書いてます。

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最近の記事

鎮静剤

全ての行為は医療である それが食事であっても運動であっても 対象が自分であっても 他者に対する節介であっても指導であっても 口伝であっても文伝であってもだ だからこそ 分量を少しでも間違えれば毒となり 縫合がなければただの裂傷となり 方法を誤れば死に至る そして最も注意すべきは痛みである どれだけ然るべき行為であっても 痛みが強ければ攻撃となる とすれば最も大事なのは鎮静剤である 鎮静剤こそが行動を医療に変え 鎮静剤こそが業を御業に変えるのだ

    • 無視無関心絶縁体

      他の人などどうでもいい 他人は全て自己責任 勝手に好きにすればいい 私は私と大切な人が 幸せになることだけ考えるのだ

      • アランとエピクロスに学ぶ繊細さんの生き方

        繊細さんやHSPと呼ばれる種族は その五感による受信感度が非常に高い 五感で受信した情報は当然脳に刺激を与える 受信による多くは危険察知であることから 刺激の大抵は気分を害するものである 私自身が繊細気質で苦しみ 周囲から理解を得られず 苦労してきたからよくわかる 五感で受信した多すぎる刺激は 神経を激しく磨耗させる 神経から流れる情報は脳へと至り 脳内に作られる精神を揺さぶり不安定にする 不安定になった精神は脳に不快の意を表明し それを受けた脳は警

        • 理性の在るべき姿

          理性とは何か 其れは感情を抑える為の防壁なのか 其れは人間と獣を隔てる境界線なのか 其れは合理的な思考が湧き出る泉なのか 其れは理不尽に耐える信仰の塊なのか 一般的に理性と呼ばれる思考状態であれば 果たして本当に理性的であると言えるのか 恐らく違う 私が思うに最も純度の高い理性とは 自身を含む全てを俯瞰し 全体平和的な思考の基に行われる 全体最適化へ至るための建設的な判断である 重要なのは部分最適化ではなく 全体最適化であるということである そして

          静寂の森

          例え嗜好に合った娯楽であっても 本当に必要な時以外に摂取する其れは 丁寧な思考と読書と執筆を邪魔する雑音となる 静謐と静寂と安息こそが 洗練された思考の母たりうるのだ

          執行者の役割

          執行者の仕事は大きく分けて二つある 一つは取捨選択をして物事をまとめる事 もう一つは周囲にその選択を納得してもらうことである

          執行者の役割

          続く無敵の認識

          私は周りを認識しない だから周りは誰もいない 雑音や視線は存在しない 誰にも何も思われていない 私は貴方を認識しない だから貴方は存在しない 目の前には誰も存在しない ここは私しかいない 私だけの認識世界

          続く無敵の認識

          無敵の認識

          私を怒らせているのは私の認識である 私を憤らせているのは私の認識である 私を追い詰めているのは私の認識である なれば逆も然り 私は私を認識によって護り癒すのだ

          無敵の認識

          怒りとは脳内毒素である

          外界からの悪しき負の感情を受けた瞬間 私の内から怒りの感情が生まれる 怒りの流れと増長が瞬間反応爆発的に起こる 発生した脳内毒素が全てを破壊してしまう 溜め込むことがいけないならば 思った時にすぐ言うことで小出しにするべきか やはりやめよう 管理しようなどと思わないことだ 怒りは脳内毒素だから一滴でも脳が破壊される 結局心が辛くなる 私の自我は恥と恐怖と怒りに支配されやすい 理不尽への怒り 不平等への怒り 怒りとは執着の果実だ 報われないことへ怒り 全てを敏感に察

          怒りとは脳内毒素である

          独覚

          感情が生まれてからではもう遅い 特に私のような感じやすく気付きやすい人間は 秒単位で大量の感情を精製するから 管理しようなど土台が無理なのだ 最初は少し思うところがある程度 それが一瞬で大量の猛毒となり 私と私の周りの人間を全て破壊するのだ 私は感情や意見を一滴たりとももってはならぬ そういう怪物なのだ 認めたくなかった 諦めたくなかった 管理できると少しでも思いたかった でも今日改めてわかった 私は自我を抱いてはいけない怪物なのだ どれだけ主張が

          血抜き

          これはあくまで私に限っての話だが、 浮ついて落ち着かない時、 様々と手をつけているようで進んでいない時、 感情的になっている時、 無駄な力が入っている時、 そういう時は血の気が多くなっている。 だから私は全身の力を抜いて、 心を無にして感情を無くすのだ。 そうすることで脳内の不要物が廃棄される。 これは肉体的な話になるが、 頭痛持ちの私にとって、 血管が広がり血の量が増えていることは、 即ち頭痛を意味する。 いいことは何一つない。 肉食も避けたい。

          私の麻薬

          性欲は満たされても一瞬。 食欲は満たされても一瞬。 砂糖も、酒も、煙草も、満たされるのは一瞬。 音楽も、ゲームも、賭けも満たされるのは全部一瞬。 なぜなら全部麻薬だから。 一瞬上がってがくんと落ちる。 だから再び欲しくなる。 私はもう麻薬には頼らないし、頼りたくない。 がくんと落ちるときに吐きそうになるから。 ゆっくり焚き火を眺めて、 ゆっくり川の音を聴いて、 ゆっくり雨の音を聴いて、 ゆっくり運動をして、 ゆっくり勉強をして、 ゆっくり活字に触れ

          人を呪わば穴二つだから離れて逃げて忘れよう

          復讐は大きなカタルシスが得られる と勘違いしている人がいる。 一時的には満たされるかもしれないが、はっきり言って労力の無駄である。 でも相手を許すことはそう簡単ではない。 ではどうすれば良いのか。 相手からとにかく離れるのである。 離れて、逃げて、忘れるのだ。 そうするだけで私たちは本当に幸せな人生を歩めるのだ。 どうしてもそれでは納得できないというのなら、それこそ離れるべきである。 恨みをかっている人間なんてのは、大抵の場合、他の人間からも心の底で嫌われて

          人を呪わば穴二つだから離れて逃げて忘れよう

          綿毛の降り立った先で

          私の一人目の親は、天才的に口先が巧かった。 奴を知る者は皆、狡猾で利己的で詐欺師の様だったと語る。 私はそんな奴のことを心から恨んでおり、奴の様な存在になりたくないという思いから、寡黙な気質になった。 私は軽口によって発生する問題は大嫌いである。 しかし血筋とは皮肉なもので、私の窮地を何度も救ってきたのは、他ならぬ土壇場での口先の巧さと狡猾さであった。  奴の血を引いている私に奴の罪を背負わされる道理はないが、生まれてくる子は親を選べなかったからこそ、この特技を手にし

          綿毛の降り立った先で

          我慢は百害あって一利なし

          日本には我慢を美徳とする意識が深層まで染み込んでいる。 それは越冬の先に桜が花開く国ならではの感覚である。 しかし人間の精神は樹木のようには出来ていない。 タフネスを称賛されるボクサーもパンチドランカーとなり、良くて半身不随か脳死状態、悪化すれば簡単に死に至るのである。 そしてそれは物理的なダメージに限定されるものではない。 むしろ筋肉を貫通して脳を破壊することができる精神的ストレスこそ、タフネスで乗り越えてはいけないのである。 どんなに格好悪くてもいい。 どん

          我慢は百害あって一利なし

          私の抜け殻に残る足跡

          私の人生から皆さんが得られる果実は無い。 しかし、私の言葉を読めば、どの果実を食べてはいけないのかはわかるだろう。 私の文章を読んだ者が一人でもよい、同じ過ちを犯さないでいてくれることを切に願う。 過去の私の曲がった背中を、今の皆さんが踏み台にして、できるだけ多くの足跡を残し、より高い場所の果実に手が届くことを願うばかりである。

          私の抜け殻に残る足跡