
理性の在るべき姿
理性とは何か
其れは感情を抑える為の防壁なのか
其れは人間と獣を隔てる境界線なのか
其れは合理的な思考が湧き出る泉なのか
其れは理不尽に耐える信仰の塊なのか
一般的に理性と呼ばれる思考状態であれば
果たして本当に理性的であると言えるのか
恐らく違う
私が思うに最も純度の高い理性とは
自身を含む全てを俯瞰し
全体平和的な思考の基に行われる
全体最適化へ至るための建設的な判断である
重要なのは部分最適化ではなく
全体最適化であるということである
そして何故その判断をしたのかを
人道的且つ博愛的な思考の基で説明し
他者の心に住まう猜疑心の強い陪審員達から
納得と了承の基に協力を得られることである
この為には日頃から丁寧で穏やかで
口が堅く紳士的な
人格者であろうとすることが重要である
そうでなければどれだけ全体最適を狙った行動であろうと
他者からは利己的や冷徹な人間であると見られ
情動的な正義漢からの思わぬ妨害を受けてしまう
私達はどこまでいっても
結局のところ人間なのだから