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中国古典のすすめ



前書き


旧ブログにて2021年04月23日に記載していたもの。

歴史は生きる事についてのノウハウの宝庫です。特に古今東西の戦乱時期がお勧めですね。

古典は主に中国古典がお勧めで、中国古典の殆どが春秋戦国時代のもので百家争鳴の時代です。春秋戦国時代だけで人間の考えられるものは全て語られていると言っても過言ではないほど密度が濃い時代でした。

世の中には様々な本がありますが、2000年以上も世界で読み継がれているものは極僅かであり、時代が変わっても人間の営みの根本は変わっておりませんので、要諦が全て説かれています。

机上の暗記だけではなく、行動による実践や臨機応変な応用が肝要です。そうでないと趙括や馬謖の轍を踏む事になります。



【兵家】


孫子、呉子、六韜、三略あたりは有名ですが、尉繚子、司馬法、李衛公問対も加えて武経七書と呼ばれ代表的な兵法についての古典とされています。兵法なので軍事を連想しやすいですが、より深くは政治学であり心理学になります。

基本的には軍事は政治の延長線上にあり、やむを得ない事態でない限りは安易に使ってはならず、安易に使えば自滅するもとになり、なるべく政治や外交を重視し、それでも仕方がなく戦う時は事前に勝つ状況を作り出し、勝つ状況が出来てから戦いを始め、味方の被害や物資の消耗を最小限に抑えるように思慮工夫をし、目的を果たしたら欲張って継戦せずに冷静に撤退し軍事行動を停止する。大まかにはこんな事を説いており、勝つ事より負けない事が肝要とされています。

勝つ状況を作り出すには、自分と相手をよく知る事や、よく知った相手を自分が目的とする罠に誘引して嵌める詐術や、変化する状況に合わせた臨機応変さが肝要と説かれています。また、軍事行動を継続する為の兵站も肝要であり、現代の一般人であれば心身や時間や経済や飲食が当てはまります。後は君主や将軍のあり方、つまりは理想とするリーダーについてや、人心掌握術など組織運営についても説かれていますね。



【法家】


管仲、商鞅、韓非、李斯が有名で儒家の徳治主義に対して法治主義を説きました。徳治主義は立派なリーダーがいて民衆はそれを見倣って立派になる、そうすれば社会は立派になるといった理想論に寄った考え方でした。けれども実際はそんなに皆が立派になる事は難しい、また立派という理想も曖昧さがある、そこで明確に○○は善いこと、××は悪いこと、と法律化させる事により善いことと悪いことを決めた上で信賞必罰をするのが法治主義でした。

当時の春秋戦国時代では始皇帝で有名な秦の国が昭襄王の頃より法治主義を取り入れ国を強くしていました。法治も完璧ではなく法を司る者の清廉さや判断力や解釈の仕方で様々な問題もありますし、曹操が誤って行軍中だったかに馬で畑を荒らしてしまった時も郭嘉が機転を利かせて死罪の法から救ったとの逸話があったり、ソクラテスの悪法も法なりも有名で、法というものも考え方や捉え方で解釈の仕方が変わってきますね。

基本的に民主主義の国では法治主義と徳治主義を併せたような統治の仕方をしていますね。基本的な法律、つまりは協定やルールを学ぶ事も戦い方や生き方の幅が広がります。



【儒家】


三大聖人の一人、孔子を祖とする主義です。説いている事自体は善い事を説かれているのですが、理想論であったり堅苦しさを感じもします。また、父親や長男を尊重し過ぎるので現代だと差別で平等でないと言われたり、近くの人から大切にしそれを各々が広げていけば社会は平和になるというような主義でもありました。

理想が高くもあるので実態が伴わない理想論のみを述べて賛美する人達も多々現れた事の影響か、始皇帝や曹操など時の権力者から弾圧を受ける事もありましたが、説かれている事の高尚さからか現代でも高い評価を得ていますね。

真面目な人が真面目さを補強させたいとか、不真面目だけど真面目な事を学びたいなどといった場合に適切なものだと思います。

有名な孟子や荀子も儒家ですね。性善説と性悪説の話がありますが、目指すところは同じで似たような事を言い換えているだけの印象があります。性善説は人は生まれながらは善であり後天的に悪いものに触れる事で善が弱まっていくから気を付けようと説き、性悪説は人は生まれながらは悪であり後天的な努力によって善へとなっていくと説いています。また性無説もあって生まれながらは善でも悪でもないとする主張もありますね。荀子の下で学んだ韓非と李斯は性悪説の影響を受けた事によって法家となっていったのかな?儒家は理想論的、人の本性は悪である、では現実的に悪の部分を縛る為の法が必要なのでは?と。



【墨家】


平和主義や博愛主義を説きつつ、論だけではなく攻められて困っている小国を助けに行き、防戦の実績を重ねる事で主張する主義を実践した集団でした。

儒家に対して批判的であり、身内や父親や長男だけを尊重するのは差別愛だと批判し、舞楽など楽しみは人を堕落させるから禁止させようと批判したり、冠婚葬祭を豪勢にやる事は浪費であるから簡素にして倹約しなさいと批判したり、説いている事自体は一理あるのですが儒家以上に堅苦しく厳しい教義の印象ですね。

それでも祖である墨子が健在の頃はリーダーシップを発揮してうまくまとめていたようです。墨子亡き後は厳しい教義に着いて行く人や賛同する人が減ったり、秦の始皇帝が勢力を増し統一した事によって墨家も滅びたなどの話があります。
高過ぎる理想の為に全てを賭した殉教者集団のような印象がありますね。



【道家】


有名な老子と荘子を併せて老荘思想と呼び、老荘思想を主義とする人達を道家と呼びました。老子は政治色がまだ強い傾向ですが、荘子は政治も社会も無くたっていいんじゃない?拘る事自体がよくないよと説きました。共に通じる事は道(タオ)と表現される事柄で、現代で言うならば宇宙の全体的な自然を表しているような印象を受けます。紀元前の時代に宇宙のようなものを感じ取っていたのだと思います。仏教の考え方と似たところも多く、中国に仏教が輸入された当時は老荘思想を連想しすんなりと受け入れられ理解されたとの逸話もありますね。

老子は基本的には無為自然や上善如水の言葉のように、人為的な作為をなるべくせずに自然任せ、無理や強引な事をすれば反動や反発が起きるから自然任せ、作為的な事をするにしても自然の流れを計算してほんの少しの工夫をするだけ、ほんの少しの工夫であるから自然にそうなったように多くの人達は認識する、自然な流れであるから反動や反発も少なくなる。孫子の中に迂直之計という遠回りをする事が一番の近道と急がば回れの語源のような言葉があり、老子はそれをより昇華させたような老獪な政治観を説かれていますね。

荘子は儒家への批判が多い事から、戦乱の世で生真面目に堅苦しい主義をしていたら、心身が疲弊して人生そのものを楽しめなくなるよ?世の中の多くの人は善悪や禍福に拘るから余計に社会はおかしくなるんだよ?何かを善とするならば何かの悪が生まれる、何かを幸せとするならば何かの不幸が生まれる。善や幸せに拘るから自縄自縛になって人生がつまらなくなるんだ、自然に任せそれを淡々と楽しめばいい。といった事などを説きました。

実務的や物質的な物事からは離れた考え方ですが、現代社会は自縄自縛で視野狭窄に陥り心身を疲弊させている人達も多い印象を受けます。心をほぐしたりストレスを緩和させたい人に老荘思想はお勧めですね。



後書き


上記以外にも弁舌のみで外交を得意とした縦横家や、対による循環思想的な陰陽家など他にも様々おりました。


著者は主に守屋洋さんの本を読んで学びました。


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