![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158207214/rectangle_large_type_2_f0f3defb8f91dd5bc3f351680eab329a.png?width=1200)
「怖い絵2」を読んだ感想・備忘録
『怖い絵2』 著/中野京子
を読みました。
いろんな美術作品のホラー要素、怖さを解説してくれる本です。
とても面白かったです。
私には美術的素養や知識がないので、マクロな美術開設よりもこうしたあらゆる美術の世界から特定のテーマに沿って作品を紹介してくれるのが助かりました。(自力だと挫折するので)
読んだついでに備忘録的に知識と感想をメモしておこうと思います。
見返すためなので粗だらけで拙い内容になるでしょうがご愛敬。
ピカソ『泣く女』
キュビズムは様々な角度から見たものを一度に正面から見たように描く画法だと聞いたことがあるけれども、この作品はすごい。
いろんな色があって支離滅裂であるようにも思えるのに伝わってくる感情はは激情の悲しみ。それのみ。
モデルはドラ・マールというピカソの愛人だそうで。
女性に奔放なピカソの愛人だった故、いろいろこじれて泣いているそう。
刺激の源として女性を使うピカソ、ひいては表現者全体の冷酷さがこの絵の怖さである。あらゆる感情を吸収しそれを芸術に昇華させる。
そんな表現者の身近にいる人間の苦悩を考えれば表現者というのは怖く見える。
が、そういった我々にできないことを平然と行うその才能、残酷さ、そして美しさ。それに私たちは惹きつけられるのかもしれない。
エッシャー『相対性』
絵も不気味ではあるけど、階段に対する恐怖とはなにかについて考えている項が興味深い。
あらゆる宗教、神話において階段とは違う世界を結びつけるキーであり階段そのものも異界を表す。ゆえに恐怖するのは当然。
先が細くなって不確かになっていく、先はどんどん影が濃くなり見えなくなる。
この階段の特性はあらゆる不安に似ている。
階段を未来過去現在とリンクして考える。すると未来に進むにつれ階段を上るにつれ未来は不確かになり、自分が見えているより先に関しては足場が存在するかもわからない。そう言った恐怖を感じる。
逆に過去を見れば階段を下れば、過ぎていく時間の中過去のものはどんどん見えなく手の届かないものになっていくし、死、自分が存在してしていない時間へと下るのは性から離れるという意味で死に近づいていると考えられる。これも恐怖に値する。
階段はあらゆる根源的恐怖とリンクさせて考えられる気もする。
あと紹介されているマーガニスタ・ラスキの『塔』。話として面白い。
相対性は不安定さの具現化ともいえる。見ていて不安になってくる絵だ。
ハント『シャロットの乙女』
本作の中で紹介されている絵ではこれが一番好きだったかな。
シンプルにきれいな絵だし、明らかにただ事でない怖さが伝わってくるのもいいね。
モチーフとなったアルフレッド・テニスンの詩のストーリーとしては幽閉されていた(?)シャロットの乙女がアーサー王伝説に出てくるランスロットに一目惚れして会いに行こうと追いかけるけど悲恋のまま死んじゃう、というもの。
ランスロットを一目見るため外界を覗いた乙女に呪いが降りかかる瞬間を絵にしているとのこと。
幽閉されていた乙女が髪を振り乱し恋という激情によって豹変するさまが怖い。糸を引きちぎりメデューサみたいな髪してさ。アリアドネとは大違い。
『泣く女』の時も思ったけれど、感情を絵にするってすごいよね。
そう思った。
ジェラール『レカミエ夫人の肖像』
今までと打って変わって現実的な怖さ。
エッチな服着てる女の人の絵。
かと思いきやこの服装が流行の最先端であったとのこと。
しかし、この服は薄すぎるというか露出しすぎることで風邪や結核インフルエンザなどあらゆる万病のもとになってしまい流行のファッションに飛びついた女性たちは病気で亡くなった。命取りのファッションらしい。
またこんなのが流行った理由として狂乱の時代に死を纏うことで心を殺したかったのではないかとのこと。
歴史的恐怖もそうだが病気恐怖症の私としては普通に怖い。
ブレイク『巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女』
めっちゃこわい。というか気持ち悪い。
雄々しすぎる。オスすぎる。
フィクション化されてないバキかよ。
日をまとう女とのサイズ感も怖さを引き立てる。
それに顔は見えていないこのドラゴンがどんな顔をしているか。下卑た笑みかもしれないし、恍惚とした微笑かもしれないし、神妙に泣いているかも。
いずれにせよ不穏だ。
どうやらこれが怖いのは共通認識らしくトマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』もこれが元ネタとのこと。
この作品の中ではこの絵を見た被虐待児だった主人公が筋骨隆々の殺人鬼へと変貌するらしいのだが、それも納得という感じ。
こんなのに共感できたらそりゃあ人道から外れるわよね。
ヴェロッキオ『キリストの洗礼』
この絵の怖さは才能であるらしい。
作品の中の左の天使がヴェロッキオではなく、かのレオナルドダヴィンチに描かれたそうで、弟子のダヴィンチの才能を見たヴェロッキオはこの作品以降絵を描かなくなったそうだ。
正直素人目に見ても天使のうちどちらが可愛いかといえばまあ左だよね。
芸術の世界であっても才能の差というシビアな現実があるという事実は確かに怖いかもしれない。
一流の人間は超一流の人間につぶされる。
これを端的に表すエピソードだなと思う。
以上が『怖い絵2』の個人的感想。
面白かったし美術系の作品をもっと読みたいなとも思いました。