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1/23 青葉市子15周年記念ライブ 追加公演@東京オペラシティコンサートホール
こんばんは、Mizukiです。29歳、課長/編集長、会社員として音楽系のWebメディアの編集者をしながら、何だかんだ他社出版社さんなどでも書かせていただいたり、企画もしています。
1月23日、青葉市子の活動15周年記念として、東京オペラシティコンサートホールで開催された二公演のうちの追加公演に行ってきました。今回はそこで感じたことをメモ的に記していきます。自分でチケットを購入し、バルコニー席からの観覧です。
会場ではずっとクラシックギター、青葉市子の声、拍手の3つの音が鳴り続けていましたが、そんなシンプルな編成とはにわかに信じがたい豊かさがありました。この日に集まった1,500人ほどのファンに対して、こんなにも身軽な装いで立ち向かえる強さとしなやかさに圧倒されます。
セットリストを細かく覚えているわけではないですが、「不和リン」から始まりました。その冒頭のハミングが発せられた時の、空気感がすっと変わり、観客の集中力が一つに集まるとき特有の静けさは印象的でした。オペラシティのようなコンパクトだけど、教会ほどウェットじゃない響きがするクラシックホールは、観客側にも良い緊張が流れて良いなと思います。
他にもアルペジオの伴奏に非和声的な音でハッとさせるような音をぶっ込んでから弾くリフ、ギターでしっとりと琉球音階のアルペジオ弾くととても不気味に感じられることなど、ほかの音楽家のライブでは考えることのないような表現/発見もちらほらありました。
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後半ではエレピ(YAMAHA Reface CPに見えたけどどうだろう……)を演奏するシーンがあったり、4曲だけ大貫妙子がゲストとして登場したりもして、教授との曲である「a life」を歌っていました。お二人の中の坂本龍一の存在、大貫妙子の声の経年変化、やっぱりギター一本の演奏の心細さみたいなものが一緒くたになって迫ってくると、自ずと人の命の短さや時間について深く考えさせられます。
考え抜かれているからか、表現や好みに一貫性があるからか分かりませんが、ゲストを呼んで、他人の曲を演奏してもなお、自分の作品コンセプトの色を強めることができるというのが、青葉市子さんの素敵なところだと思いました。
流されにくさ、存在の重さ、愛と命についての意見を持つ作品は、どれも地に足が付いているなと思います。
もちろん、特有の軽さが生かされた作品も個人的には楽しそうなので大好きです。でもそういうのを見ていると、受け手としての私もまた、この軽い人間の一人と証明されるような気がするときがあるんです。
クリエイターの友人たちと話していても、意外と皆ユーザーの欲求を「こういうのが欲しいんでしょう」と上から目線で眺めているんですよね。そのマーケが当たってるのを見ても複雑な気持ちになりますし、滑ってるのを見ても情けない気持ちになる。だからこそ、お金のためにやってるのではないなら、相手に媚びずに、自分を貫くか大切な人のための表現活動をした方がいいのではないか?というのは常々感じるんです。
青葉市子さんは、35歳にして、本当に大事なものを見つけているのが聴いていて分かる。それでいて技術力も高いのは驚くべきことで、奇跡に近いことだと思います。
私はいつか、青葉市子さんのような人間になりたいです。抽象的ですが、そんな女の人になりたい。
余談ですが……オペラシティは、N児という合唱団に10年間ほど所属していたときに年に2回くらいここで行われる演奏会に出ていたので、リハーサルも含めると年に4回くらいは訪れていた場所。楽屋や舞台袖の記憶もとてもあるし、ホールの響きなどとにかくなつかしい。席に座ってすぐ、胸からすとんと何かが落ちていく感覚がありました。そういう少女時代の感覚、これからも大事に生きていきたい、と思います。