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📀亡き姉が浩則に与えた偉大なる影響④ - Eagles・T.Rex・Beatles(洋楽レコード編Ⅰ) -
前回の続きです。
思いで4
私には姉(1958年生まれ)がいましたが、8年前、56歳で亡くなりました。
小学2年生の姉は、卒園して3年も経つのに、私のバス通園(姉は徒歩)や季節ごとのあらゆる催しを羨ましがり「浩則ばっかりひいきして」と、園児の私にはどーにも出来ないイヤミを良くボヤいていました。
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姉は公立の幼稚園でした。
母いわく「浩則は病弱で公立の幼稚園に合格するのは無理だろうから、私立の日輪幼稚園に通わせた」
両親のこの選択については、今もって謎。当時、同じアパートに住んでいる同級生3人が一緒の幼稚園だったので、母親同士で決めた、それが理由と勝手に思っています。
両親が亡くなってから、友人2人と私が幼少期をどんな場所で過ごしたのかと港区へ。アパート周辺は開発されて大型マンションに変わり、通っていた日輪幼稚園は日輪保育園でした。なぜ母親は幼稚園と私に言い続けてきたのか、謎は深まるばかり(笑)
この記事は、私が10代の時に姉からもらったレコードの話です。
The Eagles
高校に入る前、「浩則、これ聴いてみて」姉から言われて聴いた初めての洋楽。
このアルバムほど、私の音楽に影響を与えたものはないですね。
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アルバムに付いていた横長のポスターは部屋の壁に貼っていましたが、どこに行ったかな?
アルバムからは、この曲以外にありませんね。
高校からの帰り道、京橋のワルツ堂(たぶん)で「イーグルス・グレイテスト・ヒッツ 1971-1975」を買いました。
デビューからの彼らの軌跡をまとめた最初のベスト盤で、アメリカ合衆国だけで2018年現在までに3800万枚以上を売り上げ、全世界では5100万枚以上となっている。全米歴代1位のセールスを記録、アメリカレコード協会(RIAA)に米国で1番売れたアルバムとして認定されている(2位はマイケル・ジャクソンの『スリラー』)。
ここからウェストコーストを中心に、聴きまくりました。
T.Rex
グラムロック、姉がいなかったら聴くことはなかったと思う。
自分でも発売すると直ぐに「地下世界のダンディ(1977年)」を買ったほど、お気に入りのバンドです。
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この曲は外せないですね。
1977年9月16日、ロンドン郊外のバーンズにおいて自動車事故で世を去った。自動車は愛人のグロリア・ジョーンズ(妻はジューン・チャイルド)が運転しており、ボランは助手席に乗車していた。事故は車が大破するほど大きかった。ボランの死の状況については様々な説が流布したが、2015年9月17日付の英国ガーディアン紙は「ボランは即死」(Marc Bolan was killed instantly)と記述し、流説を明確に否定した。なお、グロリア・ジョーンズも、あごの骨折と顔面にかなりの負傷を負っている。
オカルトに凝っていた時期があり、また「僕は30歳まで生きられないだろう」と冗談めかして語っていたと言う話は有名である。結果的に彼が亡くなったのは、30歳の誕生日の2週間前であった。
若くして亡くなったのは知っていましたが、、、29歳でしたか。すると、アルバム「地下世界のダンディ」は遺作になるのですね、今、知りました。これ以降、新しいアルバムが出ないはずです。
The Beatles
今さらで、何かを書く気もしない(笑)
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どの曲を選べば良いのかも、悩む。
「赤盤」からは、次のアルバムにも入っているけどこの曲かな。
本作及びその後編『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』は、本来『AΩ(ビートルズ・アルファ・オメガ)』という4枚組120曲入りの海賊盤コンピレーション・アルバムが出回ったことへの対抗措置として企画されたものである。
本作は、その外見から「赤盤」の愛称で親しまれている。1967年から1970年までの代表曲を集めた『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』(通称『青盤』)と同時にリリースされた。
青盤を買おうとしたけど、その時々で欲しいレコードがあり買えなかったな。
「Love Songs」からは、地味だけどこの曲で。
『ラヴ・ソングス』(Love Songs)は、ビートルズが1962年から1970年にかけて録音した楽曲からラブソングのみを集めたコンピレーション・アルバムである。アメリカでは1977年10月21日にキャピトル・レコードから、イギリスでは11月19日にパーロフォンから発売された。2枚組のLPの形態で発売された。2016年時点でビートルズのカタログから存在が抹消されている。
このアルバム、ビートルズのカタログから消えているのですね。
以下は関連のある、これまでに書いた記事。
<了>