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📄市政報告189号表 - 四條畷神社“約85年前”の彩色絵葉書 -

今月号は、記事が2つ+4コマ漫画。
今回は表裏の両面を、日にちを分けて報告します。


しでうなはて今昔⑪

四條畷神社 石の大鳥居

絵葉書下部にはこう記されています。

参路坦々として頭上に仰ぐ飯盛の翠巒※1
( 神社参道石の大鳥居)

上画像は彩色絵葉書で、カラー写真に見えますが、白黒写真に手作業で色を付け印刷したものです。その絵葉書が数枚入っていた袋の表面には「四條畷名所繪葉書」、裏面には「四條畷土産商同業組合發賣 伊勢屋發行」の印字があり、土産物で組合が組織されるほど神社を中心に観光地として成り立っていたことがわかります。
宛名面上部には「きがは便郵」と右横書きで印刷されていることから、1933(昭和8)年~1944(昭和19)年に販売されたものとなります。
残念ながら、石の大鳥居も平成30年に本市で震度5弱を記録した大阪北部地震により破損し、危険が伴うために撤去されました。しかし、令和3年9月19日に吉野檜で再建されています。

石の大鳥居については、「長畑ひろのりNews vol.169」にも詳しく書いていますので、下記をお読み下さい。

絵葉書中央、石の大鳥居上部にある笠木と貫との間に掛けられた「四條畷神社」の扁額※2 は、長年に亘り使い続けられてきましたが、先の理由により外されました。
現在は、下記画像のように四條畷神社敷地内に建つ神社会館の入口ホールに飾られています。

扁額の表側
扁額の裏側
扁額裏側に 記されてい る文字

※1 翠巒(すいらん)とは、緑色の峰。緑色の連山。
※2 扁額(へんがく)とは、神社の鳥居や社殿、お寺の本堂などに掲げられている額のこと。特に神社では神額、寺院では寺額、天皇直筆によるものは勅額(ちょくがく)と呼ぶ。
※3 大勲位(だいくんい)とは、日本最高の勲位。
※4 熾仁親王(たるひとしんのう)とは、幕末~明治前期の皇族。有栖川宮(ありすがわのみや)家、第9世。1895(明治28)年1月15日没。

市政報告の画像

データ

PDFのリンクです。上記画像がダウンロード出来ます。

http://nagahata.jp/pdf/Vol189.pdf


<了>