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🚢隠岐 知夫里島の思い出を検証⑤ - 後醍醐天皇上陸地とカルデラ -

前回からの続きです。

前回お伝えした通り、前々回の記事が、「#この街がすき」18,500件ほどの中から記事まとめ387本に選ばれました。それだけでも嬉しかったのに、またも8月16日のこと、8本追加された中へ前回の記事が選ばれました。

結果として、記事まとめ405本の中に私の隠岐 知夫里島シリーズの記事が2本も入りました。

続けてのことでテンション上がりっぱなしです。
次の画像はそのお知らせメールです。

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そして、その前回記事が以下になります。

最後に島へ行ったのは

子どもの頃では高1を最後に、その後、大学や働きだすと機会もなく、やっと2009年に2度行くことができました。4月に、妻、長男、次女と義父母、9月は妻、長女、次女、母と一緒にです。

その時の写真を何枚か載せます。
見出し画像は、私が幼少の頃、泳いでいた仁夫地区の小さな港。このシリーズ①冒頭白黒写真の40数年後です。

知夫里島の砂浜
iPhone で撮影。

隠岐海岸

隠岐知夫赤壁
小さな魚船に乗って海側から撮影、そして陸側からも。
陸側は、柵も何もないので足を滑らすと人生は終わります。

赤壁船から
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赤壁は、隠岐諸島の最南端にある知夫里島の西海岸沿いに、約1キロに渡って広がっており、その高さは50~200メートルです。この崖は約600万年前に噴火した火山の火口が浸食されてできた断面です。赤い色は、噴火で飛び出した溶岩のしぶきの鉄成分が酸化して生じたもので、繰り返し噴き上がったしぶきによって縞模様ができました。ドラマチックな赤壁は隠岐諸島で最も印象深い景観の一つで、知夫里島を象徴する風景の一つです。

出典:環境省ホームページ

後醍醐天皇上陸地
このシリーズ②でリンクを貼りましたが、4コマ漫画で描いた元ネタです。
あまりにも遠慮がちに立っていますので、私も最初は通り過ぎてしまいました。もう少し大きな石碑とかにして欲しいように思います。

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1332年に隠岐配流の身となった後醍醐天皇は、最初に知夫の仁夫浜に上陸し赤ハゲ山にある仁夫里坊、古海坊にご宿泊されました。現在は当時の場所に石碑が置かれています。

出典:知夫里島観光協会


アカハゲ山
知夫里島を360°見渡せる、島で一番高いアカハゲ山(標高325m)の山頂より。
山頂からカルデラ湾に浮かぶ島々を見ることができます。
撮影時、ガスが出てきて画質は悪いです。

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アカハゲ山は、春になると、道路わきに「野だいこんの花」が咲き始め、頂上付近は一面ピンクのじゅうたんを敷いたかのごとくになります。
園地内の展望台からは、隠岐諸島はもちろんのこと、島根半島や大山まで一望でき、眼下に広がる草原では、牛の放牧が見られます。

出典:島根県ホームページ

フェリーより
帰りのフェリーより、思い出の詰まった知夫里島を撮影。

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島前はカルデラ

知夫里島を含む島前は、火山の噴火でカルデラが形成され、その後に海へ沈んで島となりました。

島前諸島は変わった形をしています。真ん中に高い山があり、その山が海に囲まれ、その外側に島がならんでいます。この地形は火山活動に由来するもので、大規模な火山噴火による火山体中央の陥没が作りました。このような火山性の陥没地形はカルデラと呼ばれ、日本では阿蘇山が有名です。

出典:隠岐ユネスコ世界ジオパーク

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画像出典:知夫里島観光協会

今回の最後は知夫里島の隣、西の島の YouTube です。
カルデラの説明が良くわかる素晴らしい動画です。是非見て下さい。

では、また次回へ。

<了>