見出し画像

さようなら、青春18きっぷ

 12月になり、本来であれば青春18きっぷの利用期間が訪れるはずだった。だけれども、私の中では、もう青春18きっぷはこの世界に存在していないから、その季節は二度と訪れない。春も、そして夏も……永遠に。

 知らなかったと言えば嘘になる。予め知っていたことだ。だけれども、シーズン・インとなり、それが現実になった今も俄には信じがたいし、自分の心情の中で受け入れることはできていない。唯一の救いは、消失して最初に訪れた時期が冬であることだ。
 冬であるからまだ心の衝撃は少ない。私は夏の青春18きっぷにだけ特別な意味を見出しながら生きてきたから、夏になって、夏の青春18きっぷがもうこの世界に存在しないという現実を突き付けられた時、果てしない虚無感に苛まれているだろう。特別な季節ではない冬であるうちに、その衝撃の薄いうちに、殴り書きのような雑記になるが、思いの丈を記しておきたい。


 思えば、私は大人になってから、夏を除いて季節の実感というものを殆ど感じられなくなった。学生の頃は良くも悪くもクリスマスで浮かれるカップルがいて、夏休みや文化祭、卒業式などの年中行事に無理にでも参加させられるから、自分が今どの季節にいるのかという実感があった。

 しかし、唯一の例外である夏になると、少年の日に抱いた思い出の断片だけでも追体験したくて、あの頃の瑞々しい感受性や果てしない高揚感を味わいたくて、10代の頃と同じようなことをして季節感を味わうという事を毎年繰り返してきた。友人と海やプール、バーベキュー、花火、夏祭りに行ったり、それから、青春18きっぷで一人旅をしてみたり、誰かと一緒に遠くへ出かけてみたり……でも、最後の項目「青春18きっぷの旅」はもう終わった。


 これまでは、夏が来ると、もう二度と手に入らない思い出が走馬燈のように脳裏に浮かび上がって、それを思い出す度に切なく、そして私はまた、存在するはずもない思い出の欠片が何処かで拾えるかもしれない等という思春期の感受性を捨てきれず、何度も青春18きっぷで宛もなく旅に出てきた。私にとって夏は永遠の輝きを秘めた特別な時間だから、大人になっても少年時代の記憶の断片を探し求める営みは終わらないと思っていた。


 社会人になってから、新幹線や飛行機にも気軽に乗れるような余裕も手に入ったけど、毎年夏になると、初めて一人で遠くへ行ってみた16歳の夏の感受性みたいなものの欠片を探し求めて、懲りずに青春18きっぷを購入しては鈍行に揺られて旅をしてしまっていた。それは、どこかに思い出を見つけられるような気がするという空虚な幻想を拠り所とした不毛な営みであったのかもしれない。


 節約旅行をしたいとか交通費を極限までケチりたいとか、そういった動機などではなく、青春18きっぷを用いて旅行をすることが高校生の頃の夏休みに抱いた様々な感情やその時の感性の欠片に繋がるツールのような役割を担っていて、ある種、青春を思い返す夏の儀式めいた行いに近いものを感じていたし、大人になっても永遠に繰り返したいと、夏が近づき青空と入道雲が蟠る季節になると胸の内に込み上げ、同時に、いつまで繰り返せるのだろうという不安もあった。そして、不安の方が的中する形となった。

 完全に終わったのではないと言い訳はできるけども、物語の終止符が打たれることとなったのは否定できない。今年の冬になり、「名前だけが同じで中身は全く異なるきっぷ」が残された。でも、それはかつて私を楽しませてくれたものではない。私にとって青春18きっぷとは、一人旅だけでなくて、同じ一枚の切符を誰かと共有すること……その切符は、一枚の紙面の中にお互いの思い出を共有するツールの一つであったから、誰かと夏の思い出を作り上げるその実践が叶わなくなれば、青春18きっぷが消失したのと同じなのだと思っている。

 夏が来る前に様々なところから耳にした情報と、それから個人的な直感に基づき、今年の夏が最期であることは何となく分かっていた。だからこそ、青春の追体験の最終章を着飾るべく、今年の夏は“他者と思い出を共有する旅”という青春を引きずり続けた最後のあだ花を慈しむことに執心した。
 知人に声をかけて、「理想の夏を再体験したいんだ」と言ったら、彼女は全てを察したように白いワンピースと麦わら帽子の姿で早朝の品川駅に姿を現し、下りの湘南電車に揺られて伊豆半島の海へ出かけた。思春期に、もう二度と会えない友人と出かけたように。アラサーを迎えた大人同士、これが最後なのだからと、恥を忍んで、絵に描いたようなベタで典型的な“理想の夏休み”を演じてみた。そして、私たちは南東北へ、新潟へ、夏の最後には山陰にまで足を延ばした。青春の亡霊は柔らかに鎮まり成仏していった。私たちの青春18きっぷという物語に、もう未練はない。

 終わるタイミングはちょうど良かった。きっぱりと諦めることのできる時期であることは確かで、あと数年以内に20代も終わるから、いつまでも青春を引き摺って高校生の頃みたいに18きっぷ限界旅行をするような歳ではなく、もう、これまで思う存分使ったのだから青春18きっぷを使う旅行に対する未練は無い。無いのだが…一つだけ心残りがあるとすれば、改悪後の劣化版きっぷに同じ名前を付けて欲しく無かったという想いだけはどうしても浄化できない。

 穿った見方をすれば、あくまで一オタクの憶測でしかないが、改悪によって利用者減少に持ち込み、それを理由に廃止するという流れを作ることは既定路線だろう。端から廃止する前提で改悪されて無くなったというもどかしさを味わうくらいなら、きっぱりと無くして欲しかった。美しい思い出の中に永遠に閉じ込めたかった。


 高校二年生の夏休み、早朝の電車に揺られて友人と海へ遊びに行ったことは今でも思い出す。

 釣竿を手に持ち乗り込んだ朝6時の下り湘南電車、ボックス席に向かい合わせになって、七月の早朝の青く澄んだ色と靄の掛かり始める境目の空気に覆われた空を眺めて、寝ぼけ眼をこすり、色々なことを語り合った。


 向かいの席にいた彼が八月の花火大会に好きな人を誘うには如何すれば良いだろうか、なんて甘酸っぱい話を始めて、恋愛なんて縁もゆかりもなかった私でも胸の奥に熱く込み上げるものを感じた。そして、余った切符はどうやって使うのかと問われ、“ながら”で京都へ行くと私は答えた。


「独り身なんでね、君が好きな人と花火を見に行く頃に、私は一人で京阪神をさまよっているだろう」なんて卑屈っぽく言うと、彼ははにかみながら、八月の夜に想いを巡らせているまなざしをしていた。それは車窓の遠く鉄路の先に向けられていたが、彼の目にあったのは実在する目の前の景色でなく、もうすぐ訪れるだろう未来だったのかもしれない。あの頃の、若き日の僕たちには希望があった。それは茫漠とした夢のようなものだった。おそらく10代の後半の限られた期間にしか抱くことのできない種類の夢であった。


 海辺に座って遠い水平線を眺め、波の音を耳にしながら、近くのコンビニで買ったばかりの溶けかけのガリガリ君を齧りつつ、彼の好きな子のことについて語り合ったという夏の日を私は今でも鮮明に思い出せるが、もう、彼は忘れてしまっただろうか。


 彼は大学を出てすぐに職場結婚をした。それからもある程度の交流は続いたが、子供が生まれ、そして嫁とセックスレスになって不倫相手との邂逅に夢中になり始めた頃から私には一切構ってくれなくなった。彼と二人で列車旅をすることも、海へ行くことも二度とはできない。

ただ、結婚は人生の墓場と言うのだから、彼はもう墓に入ったのだと、つまりは死んだのだと、この世界にはもう存在しないと諦めるだけだ。我に似し二人の友よ一人は死・・・と独り言ちた。


 それでも、その時を振り返れば、僕たちは思い出を共有したことは確かなのだ。次の世代は同じ体験ができないと思うと、最早、それは「青春18」ではない。偽りの名前だけが残った。私たちが手にしていたのは全線どこまでも果てしなく行ける魔法のきっぷだった。高校生の夏休み、どこまでも行けるという彼方への憧憬とその季節を二人で共有するという物語、それは確かに「青春」そのものであったはずだ。そして、それはもう二度と青春18きっぷでは味わえない。思い出の共有を一枚の紙面に書き綴ることはできないから・・・

 その事実を突き付けられる度、どうして静かに終わらせてくれなかったのだろうかと、それだけが本当に心残りで、あくまで私個人の“お気持ち”でしか無いけれども、それだけは本当に哀しい。悲しいという気持ちでは言い表せないほどの悲嘆が私の全てを支配してやまない。

 でも、青春18きっぷがまだ存在していたとして、あの日の追体験を求め続けたとして、どこかで終わりを迎えないといけないことを考えれば、このタイミングで無くなってくれたことは、遅ればせながら私が遠い日の過去を諦めるのに相応しい頃合いであったのだと思う。

 16歳の夏休み、初めてバイトをして、そのお金で青春18きっぷを買って、初めて夜行列車に乗った日の夜に抱いた胸の高鳴りや高揚感、高校時代の旅行での、果てしない冒険をしているような感覚は、その後の人生ではもう二度とは味わえないから、もう終わりで良いのだ。

 それから、あの頃によく一人旅で乗った夜行快速「ムーンライトながら」も今は存在していないが、仮に、今でも「ムーンライトながら」が走っていたとして、もう、高校や大学生前半の頃のように徹夜をしても余裕で一日を過ごせる体力も無ければ、あの頃みたく眠れない座席夜行に揺られるなんて荒技はどうやってもできないだろう。座席夜行なんて乗りたいとは思えない。

 それでも、時に、あの頃の苦行じみた旅のあり方が懐かしく思えてならないことがあるのも確かで、その感情を偽ることはできない。孤独な思春期、見知らぬ土地の景色を眺めながら過ごした眠れない夜、ここではないどこかという彼方への憧憬。あの頃、私は何処でもいいから遠くへ行きたかった。

 10代の頃、家庭にも学校にも居場所がなく、何処に居ても「私は今、ここに居てはいけない」という居心地の悪さと“共学という名の精神監獄”における他者からの悪意ある「まなざし」の暴力に苦しみ続けていた青春時代の僅かな救いは、青春18きっぷで宛もなく遠くへ出かけた場所にだけ感じていて、そこには僅かな救いが確かにあったのだ。

 夜汽車に揺られ、ぼんやり窓の外を眺め、眠れぬ夜を過ごし、閉塞感漂う家庭や学校の生きづらさの救いを果てなき遠い世界に求めていた頃は、どこまでも世界は広がって、その先に救いがあるのかもしれないと信じていた。そんな鬱屈とした思春期に過ごした夜の旅路は、私にとってその時期の象徴なのだろう。

 思い出す数々の光景……23時の東京駅、旅路に想いを巡らせる一時、近距離電車の客とは異なる様相の人々、ディズニーのお土産袋をぶら下げた若者の集団、ジャニーズの団扇を手にしたコンサート帰りの少女たち、サークル旅行で賑わう大学生、家出のような出で立ちの少年、逃避行、眠れぬ夜、流れ行く夜の灯、すれ違う貨物列車、長時間停まるホームから見上げた夜空、見知らぬ隣席の人と弾んだ会話、夏の黎明、名古屋付近で白み行く東の空……全てはもう二度と体験できない過去だが、そのシーンの一つ一つは、私の10代の貴重な経験と思い出として胸の奥底に刻み込まれている。

 あの頃に私が好きだったのは、10代の頃に窮屈な学校生活や家庭環境から少しだけ抜け出せたかのような一瞬の儚い夢で、夏休みに短期バイトをして僅かな日銭で青春18きっぷを買って遠くへ行ってみた時の、このままどこにでも行けるかもしれないという感覚で、それをもう一度味わいたいけども、二度と体験することはできない。それはそうであるが、それでも、高校生や大学生の頃に青春18きっぷで一人旅をしたこと、そして、友達と一緒に旅をして、同じきっぷに同じ駅の同じ日付を入れて貰い、その時間を共有しながら列車に揺られて遠く遠くへ向かったことは、私の青春の大切な思い出として刻まれているから、青春18きっぷが無くなっても、思い出は消えないだろう。

――しかし、社会人になった今、青春時代の思い出に何の意味があるのかーーー

 そう考えると、18きっぷが消失したと時同じくして、遠い記憶と叶わぬ夢は心の玉手箱の奥底へ仕舞い込んで、追憶の彼方へ置き去りにし、何もかも忘れてしまう方が良いのだろうか。分からない。どうしても、こればかりは分からない・・・

 ただ、社会人生活としての“正しさ”で言えば、思い出なんてすべて無意味だという観点に立てば、10代後半から20代前半にかけての感受性豊かで瑞々しい想いを抱えていた日の記憶などは、アラサーを迎えた今は何の役にも立たない。全て忘れるのがいいのだ。さようなら、青春18きっぷ。そして高校2年生の夏休みの思い出、さようなら。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集