呼吸できる範囲で頑張る
※今日のヨガレッスンで生徒さんに頑張らせてしまったので猛省の意を込めて書きます。
「息を吸うように頑張る」
香山リカ先生の著書「堕ちられない「私」 精神科医のノートから」にあった言葉です。
まさにその通りで頑張らない選択肢はなく、どこまで・どうやって頑張るかを考えるのが当たり前の日本。
私自身も頑張ることは好きだし、誰かにそれを見てもらい認めてもらうことが生き甲斐のように感じている節がある。
ヨガをする際にも頑張ることを止めない人は多い。
インスタグラムで、おでこや首が筋張っていても口角を上げてポーズをきめにかかる人がいると「そんなに自分を虐めないで」と悲しくなる。
→ヨガ哲学(アヒムサ:非暴力)を逆行しているように見えるので、できればその後ストーリーズで自分にご褒美をあげている様子をシェアしてほしいなと思う。
30代になってくると、
「今までできなかったことができるようになる」よりも「今までできたことができなくなる」ことが発生してくる。
私も20代にできていたポーズができなかった時、ショックを受けたことがある。
でも本当にもう二度とできなくなったのかと言えば、そうではない。
「数歩の回り道」に書いた通り、ポーズの最終形に到達するまで、数歩の回り道をすれば再びできるようになる。
または、たまたま昨日の長時間デスクワークや長距離歩いたとかで調子が悪かっただけで今日はできないという可能性も高い。
(年を重ねたことで前日・前々日の疲労が与える影響が大きくなる)
母を見ていて思うが、特に女性はどこかしら不調を抱えていて完璧に元気な状態はない。
だからこそ今日の調子を確認しながら、今日できそうなラインを見極めて取り組む事を選択していく。
今日できそうなライン。
最初は分からなくて、当たり前のように最終形へと突っ走るのが日本人。
頑張るがデフォルトな人に向けて一つの案が
呼吸ができる範囲で頑張ること。
これはヨガだけの話ではない。
仕事中に呼吸が止まっているとか呼吸が苦しいと感じて、定期的に深呼吸タイムを設けている知人がいる。
せめて呼吸がまともにできていないと気づける余裕がある中で、仕事や日常生活を送っていくのが生き物としての在り方だと思う。
ここで大事になるのが、呼吸ができる範囲で頑張れることを選択肢として持てることだ。
ヨガのレッスンの中でも、段階法や軽減法といった言い方でそれぞれの調子に合わせてポーズのバリエーションを提供している。
何かを頑張って取り組んでいる人をガイドする立場にある人は、選択肢をどれだけ多く提供できるかがミッションだと思う。
(今日私はその点が足りていなかったので猛省しております。。)
どうか何事にも呼吸ができる範囲の中で頑張るようにしてみてほしい。