読み比べ感想記①事実と物語の多様性
―武者小路実篤『不幸な男』里見弴『恐ろしき結婚』志賀直哉『笵の犯罪』を読む―
文責:深川文
―この企画では、様々な作家さんの作品を共通テーマに絞って読み比べた感想を皆さんと共有する企画です! 様々なテーマを切り口に物語を読むことを通して、皆さんと一緒により文学作品を楽しく読んでいくことが出来たらなと感じています。―
※なお、本企画は読み比べた感想がメインの企画で、個人の感想が多く含まれる内容となっております。作者様の日記や書評、論文等を踏まえて考察する部分もありますが、あくまで一個人の感想として、楽しんでいただけると幸いです。また、何かお気づきの点がございましたら、literature.byyour.side@gmail.comまでご連絡ください。
今回読み比べるのは、武者小路実篤『不幸な男』、里見弴『恐ろしき結婚』、志賀直哉『笵の犯罪』。これら3作品は、志賀直哉の従兄弟の自殺事件を踏まえて描かれた作品です。
事件の全貌
前にも触れた通り、3作品は志賀の従兄弟の自殺事件を題材として描かれた作品です。志賀直哉の談話「『笵の犯罪』に就いて」ではさらにモデルに関する詳細が語られています。
恰度その頃、僕の従弟にあたる男で自殺した者がある。後で聞いた話によると、自殺した従弟をAとすれば、Aには同級生で親友のBがいた。Bは自分の従妹と関係し子どもが出来ていることを知らずに、Aと従妹を結婚させた。従妹は結婚後すぐにつはりがきて、子どもも早くに産まれた。事実に気づいたAは煩悶した。十四五くらいの妾を持つなどして自分をごまかそうとはしたが、どうにも出来ずとうとう死んだ。自殺した際に、二回で鉄砲の音がしたので、嫁の母親が「どうしたのだらう」というと、嫁はただ「自殺なさつたのでせう」と答えた。(志賀直哉「『笵の犯罪』に就いて」『志賀直哉全集8』421-422)
自分の妻が、自分の親友と関係を持っていた過去を持っていたことをきっかけとして、従弟は思い悩み、死を選んだ事件であったことが分かります。
それでは、3人がこの事件をどのように物語として描いてきたのか、見ていきましょう。
📖武者小路実篤『不幸な男』(『武者小路実篤全集 第五巻』芸術社,1923年)
◇あらすじ
田島は以前、子種がないことを医者から聞いていました。しかし、妻が妊娠します。田島は、妻の身籠もった子どもは、自分の数少ない親友でよく自分の家に遊びに来ていた山村と妻の間の子であると疑惑を抱きます。その後田島は妾をおくが、その妾も自分が懐妊したことを示す趣旨の発言をしたため、田島は妾のことも疑うようになります。物語は田島が護身用のピストルで自分の額を撃つところで終わりを迎えます。
◇同時代評価・作者の感想等
またこの作品を原作に日活より『結婚悲劇』という映画が出ています。これは、武者小路実篤作品で初の映画だったようです。下記は, 『日活画報』掲載の『結婚悲劇』の脚本を担当した木村千疋男の『不幸な男』を読んだ感想です。
「僕は『不幸な男』を読んではいなかったので早速読んでみると、これは、激しすぎると思へるほど生々しい人間悲劇の記録である」木村「結婚悲劇の映画化に就ひて」『日活画報』54
◇事件当時や執筆した頃に作者に起きた出来事
事件当時の出来事ではありませんが、この作品でモデルとなった従弟は武者小路と親しい幼なじみだったようです。志賀の『『笵の犯罪』に就いて』にも、武者小路実篤と従弟が同級生でよく知っていた仲であると書かれていました。
また武者小路実篤はこの事件を題材に戯曲『罪なき罪』も執筆しています。まだ『罪なき罪』は読むことが出来ていないので、今後読み比べてみたいなと思っています。
◇感想・考察
これまで『愛と死』や『友情』、『馬鹿一』のような武者小路実篤作品を読んできたせいか、話に潜む影の深さに驚きました。愛する人を失った悲しみに耐えて前を見ようとした『愛と死』のように、武者小路実篤作品はどん底にいても這い上がろうとする人間の姿が多く描かれているイメージです。しかしこの話の主人公田島は話の展開が進むごとに疑心暗鬼となっていきます。この作品の全体像とその他の武者小路実篤作品の全体像を比較して、『不幸な男』という題名には、武者小路実篤の生き方に対する価値観が反映されているのではないのかなと感じました。「男が自分の生み出した疑念を通して自分自身を苦しめて、死に追いやった」という、自分の作り出した疑惑に捕らわれた男の生き方に、夫交換を見いだしたように思えます。耕も『武者小路実篤作品集 第5』の「解説」の中で、『不幸な男』のことを、「信ずるものを失った人間の悲劇だ。」と述べていました。
『不幸な男』を映画化した作品『結婚悲劇』の『結婚悲劇』という題名も武者小路自らが考えたもののようです。この題名には「悲劇」という言葉が組み込まれていることから、武者小路は従兄弟の事件を「悲劇的な」「不幸感」ある出来事だと考えているように思えます。武者小路のこの作品は、里見弴や志賀の作品と比較しても、男自らの持つ疑いが拡大化していくことで、追い詰められていく男の様子が強調されて描かれていた話だったように感じました。武者小路はこの事件を通して、自らが生み出した疑いに飲み込まれて誰の言葉であっても信じることが出来なくなった人間の苦しさを感じ取った部分があったのかもしれないなと思いました。
📖里見弴『恐ろしき結婚』(「里見弴全集第一巻『日本文学大全集』改造社,1931)
◇あらすじ
どことなく距離感のある夫婦。実は、妻粂子は自殺した姉の手記に姉が男性にもてあそばれていたことを知って以来、男性に対して激しい憎しみを感じていました。一方で粂子の夫小爵は結婚に対する理想を抱いていました。小爵は自分に心を開くことのない粂子に増大な愛を与えますが、粂子との距離は一向に縮まる気配がありません。だんだんと小爵は追い詰められて、自死を選びます。小爵はピストルで自分の額を撃って亡くなります。ピストルの物音が聞こえた後、粂子が「御前様が自殺あそばしたので御座います」と姑に告げました。
◇同時代評価・作者の感想等
谷崎潤一郎は『恐ろしき結婚』を次のように批評しています。
傑作かどうかは疑問だが、いろいろな点で感激を与えられ、作者に向ける尊敬の念の高まりも感じた。私がこの作品は作者が書いているうちに、物語に定めた目標へと性急に届かせようとしたと思う。それ故に、粂子を具体的に直接的に動かすものがなく、彼女の性格に薄気味悪い不自然さを感じさせる内容になったと思われる。結果『恐ろしき結婚』の恐ろしき印象は希薄になった。谷崎『藝術一家言』6-12
一方で、この作品の女性の語りを高く評価した意見も見られました。
里見弴の技巧の冴えは他に見られないほどの腕前だ。女性の会話やアクセントが聞こえてきそうな雰囲気のみならず、女性の立ち振る舞いまでもが目に浮かぶ。「我あれ」や「善心」「恐ろしき結婚」「桐畑」や「多情仏心」には心ひかれるものがある。楢崎勉『女性のための文学鑑賞』177-178
このようなことから『恐ろしき結婚』は印象深い作品として記録されていることが多いことや発表当時、注目度の高い作品であったことを理解することが出来ます。
◇執筆した頃に作者に起きた出来事:里見弴が『恐ろしき結婚』を発表したのは『笵の犯罪』が世に出て3年後のことです。『笵の犯罪』が出てから『恐ろしき結婚』が発表される間の3年間は、志賀と里見の関係は大きく変化した時期です。近すぎる関係にあった2人がついに絶交し、一人で生きていこうとした時期です。(複雑な経緯のため、絶交までの経緯は省略いたします。参考文献を記載していますので、興味のある方はご覧ください)また、家族の説得に苦心するも、大阪の下宿先の娘、山中まさと結婚しました。
◇感想・考察
武者小路や志賀の作品よりも冒頭にミステリアスな雰囲気が漂っていて、ドキドキしながら読み始めました。物語はどことなくぎこちない夫婦の関係が描写から始まり、その後、回想場面で、粂子が自殺した姉富子の手記を発見する場面が描かれます。姉富子を死に追いやった男の獣的で恐ろしい一面を目にした際は、描写が具体的だったため、胸が痛くなりました。
志賀や武者小路の作品では見られなかった女性の視点が『恐ろしき結婚』には組み込まれています。前述した『女性のための文学鑑賞』にも書かれていましたが、女性の視点からの語りが巧みで、粂子の声色や仕草までもが頭にくっきりと浮かび上がってくることが読んでいる時に特に印象的でした。そのせいか、この物語は志賀や武者小路のものと比較して、女性の気配(女性の感情)が頭に入りこんでくる物語だと感じました。
また、私個人の主観に基づいた考えにはなりますが、粂子は冷淡な女性というよりも、自分の胸にあった怒りや信念に嘘をつかなかった方なのかなと感じました。姉の手記を読むことで自分の胸に抱いた、男に対する怒りや不信感を曲げることなく持って生きてきた女性だったのかもしれないなと思いました。
今回、読んで志賀・武者小路の作品と比較した際に、特に粂子の存在が作中で大きなウェイトを占めていることが印象的でした。谷崎や楢崎も粂子の性格や描写について言及していました。今後、この物語を読む際は、粂子の人物像を詳しく見ることで、作品を解釈していきたいなと感じました。また、一方で志賀と武者小路の作品には見られる、妻の不貞が里見弴の作品では削除されていたため、何か意図があったのか気になりました。
📖志賀直哉『笵の犯罪』(『速夫の妹 : 他十三篇』角川文庫,1955)
◇あらすじ: 支那の奇術師・范はナイフを投げる演芸中に妻の頸動脈を刺したが、自分の行いが故意か殺意から来たものなのかが分からなくなっていました。裁判員の尋ねたところによると、以前より妻が産んだ子どもが自分の子でなかったが故に不和に陥っていたこと、事件発生の前日に妻に殺意を覚えるも、演芸の始まる頃には殺意が薄れていたことが明らかとなりました。裁判官は精神的な興奮を覚えて、彼を無罪としました。
◇同時代評価・作者の感想等
この作品は志賀直哉作品の中でも特に、様々な人々の研究対象となった作品のようです。広津和郎は『志賀直哉論』で、「人間の心のいろいろ複雑な面を、如何に知っているか、その理解の広さ、深さ、緻密さを十分に語っている。(省略)あの妻を殺した笵の犯罪の不思議な込み入った心理を、氏はその涙で曇らされる事のない強い心を以て、ぴしりぴしりと小気味よく読者の眼前に掴み出して見せる。複雑なその犯罪までの経過が、極めて短い素朴な表現の中に、少しも概念的にならずに、噛みしめれば噛みしめる程、人間の心のいろいろな面を具体的に感じさせるのは、氏の人間性に対する理解の深さと複雑さとがもたらした成功を語るものでなければならない。」と述べています。
志賀は『笵の犯罪』について、『創作余談』で次のように触れています。
「支那人の奇術で、此小説に書いたようなものがあるが、あれで若し一人が一人を殺した場合、過失か故意か分からなくなるだろうと考えたのが想いつきの一つ。所がそんな事を考えて間もなく、私に近い従弟で、あの小説にあるような夫婦関係から自殺して了った男があった。私は少し憤慨した心持で、どうしても二人が両立しない場合には自分が死ぬより女を殺す方がましだったというような事を考えた。気持ちの上で負けて自分を殺して了った善良な性質の従弟が歯がゆかった。そしてそれに支那人の奇術をつけて書いたのが「笵の犯罪」である。同じ題材から武者小路も里見も書いている筈だ。」志賀直哉『昭和文学全集3』「創作余談」332
◇執筆した頃に作者に起きた出来事
従兄弟の自殺について、志賀の大正2年8月4日の日記に「此所で○○の死は鉄砲の自殺といふ話をきく。妻の心持の惨酷さが凄い感じがした。妾といふ十六の女も見た。心の苦悶には縁ない女だった。」ということが記されています。
また、大正2年9月13日の日記には,「どうしても「笵の犯罪」に手がつかぬ。」9月14日「帰宅後「笵の犯罪」を書きあげた。疲労しきった。それでもまだ何か出来さうに元気がある。」との記述があります。
◇感想・考察
三作品の中で、最も異質な作品だなと感じた作品です。武者小路や里見弴とは異なり、この作品は従兄弟の事件を抽象的に取り込み、志那の手品師の裁判の場面として描くことで、新しい物語として再構成しています。題材をもとに新たな物語を生み出したことから、この物語は実際にあった事実よりも事件に対する志賀自身の感情が強いものであるように感じました。この物語を読んでいる際、笵の主張のどこまでが事実でどこからが推測かがだんだんと分からなくなっていく感覚がありました。『笵の犯罪』を読んでいる際に、『クローディアスの日記』のことを思いだしました。『クローディアスの日記』も事件を語る人間の言い分がどことなく不透明な内容となっていました。両者は書かれた年代が近かったため、当時の志賀は、事件の当事者意識に対する関心が高かったのかも知れないなと想像しました。
また武者小路と里見の作品では夫が自らを殺める結末となっている一方で、志賀の作品では夫が妻を殺めてしまったという、話の結末(誰が死を迎えるのか)も異なっています。先ほども引用しましたが、志賀は『創作余談』で事件について、「どうしても二人が両立しない場合には自分が死ぬより女を殺す方がましだったというような事を考えた。気持ちの上で負けて自分を殺して了った善良な性質の従弟が歯がゆかった。」と語っていました。作中の死亡者の相違には、こうした志賀の自我の強さも関連していたのかもしれないと感じました。
また、里見と武者小路の作品では自死に用いた道具がピストルであるのに対して、笵が妻を殺してしまった道具は刃物です。私のイメージにはなりますが、銃よりも刃物の方が、瞬間的・衝動的に人を傷つける道具であるイメージがあります。引き金に力を入れることを必要とする銃を用いる際に必要な力が刃物は必要がなく、少しの力で傷を付けることが可能です。このような、刃物が瞬発的に人を傷つけることを可能としている側面も鋭く主張の強い自我の表れのように感じました。
3作品を読んだ上での感想・考察
3作品とも同じ事件を題材にした作品であるにも関わらず、話のプロットが大きく異なっている点が印象的でした。こうした物語のプロットの差異には、事件に対する考え方の違いが大きく見られているように感じました。
題名と物語のプロットとのリンクから、武者小路実篤はこの事件を「悲劇的」で「不幸な」事件として解釈していることが伝わってきました。確証のない情報に惑い、周囲の人間を誰も信じることの出来なくなった結果、自らを死に追いやった男の生き方は見ていて苦しい気持ちとなるものでした。里見弴は、男に対する深い不信感を抱えた妻と結婚に対する理想が強く妻に膨大な愛を注ぐも距離感のある様子と、男が神経衰弱に陥り自死を選んだ様子が描かれていました。武者小路や志賀と比べると、妻の心境が詳しく書かれていたことや妻のどことなく冷たさを感じさせる態度の背景にある過去の描写があったことから、当時の男女の隔たりを何となく感じさせる作品でした。妻の胸にあった小爵ではなく、男性に対する激しい憎しみが善良な心を持っていたはずの小爵の愛とすれ違い、結果として小爵を死に追い詰めたという内容は、自ら生み出した疑問が自分を追い詰めた武者小路の作品とは、プロットの異なるもののように思えます。志賀直哉は、事件を抽象化して別の世界観に取り込んでいました。殺意の有無の不透明感が物語を構成する重要な要素のひとつとなっていた点が、里見弴や武者小路実篤の作品にはなかったため、同じ出来事を題材にした際の、受け止め方の相違を感じ取りました。また、作中で亡くなったのが夫でなく妻の方だったことや志賀自身の発言から、志賀自身がとてつもない自我を持った人間だったと改めて感じました。
また、同じ人物と事件を題材に描いた作品であるが、人物造型もそれぞれ異なっていた点も印象的でした。どのような交友関係を築いてきたのかや事件のことを耳にした際に何を感じていたのかが影響し、同じ事件を題材にしたとしても、話に違いが見られたのかもしれないなと感じました。
―参考文献―
・耕治人「解説 耕治人」『武者小路実篤作品集 第5』1965,芳賀書店,359-361
・木村千疋男「結婚悲劇の映画化に就ひて」『日活画報 7(5)』
・日本文芸協会(編)『日本小説大系 大正篇 (新技巧派)』日本文学協会,1927,135-136
・片岡良一『現代作家論叢』(三笠書房,1934)97-100
・谷崎潤一郎「藝術一家言」『谷崎潤一郎随筆選集 第1巻』(創元社,1951)4-12
・楢崎勤『女性のための文学鑑賞』(ジープ社,1950)177-182
・小野谷敦『里見弴詳細年譜』http://akoyano.la.coocan.jp/satomiton.html
(最終閲覧日:2024年6月9日)
・麻井朝『そこのあなた、ちょっと里見弴について知りたくないですか?(志賀直哉編3)』https://note.com/kapibara2/n/n89278499b6e3(最終閲覧日2024年6月9日)
・志賀直哉「創作余談」『昭和文学全集3』(小学館,1989)332
・広津和郎「志賀直哉論」『群像 日本の作家9 志賀直哉』(小学館 1991)191-196
・宮越勉 「志賀直哉「范の犯罪」とその周辺-「右顧左顧」からの脱却-」『文芸研究』82巻(明治大学文芸研究会,1999)107-139
・志賀直哉「『笵の犯罪』に就いて」『志賀直哉全集8』(岩波書店,1974)421-422
・寺澤浩樹「武者小路実篤中期作品の問題点 : 小説「不幸な男」を視座として」『文学部紀要』(文教大学,2012)131-146