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ある日僕は、難病になった。【闘病生活 #1】

余談

こんにちは!
難病と、暮らしと。略して"難くら"です。

突然ですが、みなさんは「ポケモンパン」を知っていますか?

そう、子どものころ一度は買ったことのあるポケモンのシールが入ってておまけでなんかパンがついてくるアレです。

先日スーパーに行ったら久しぶりに見かけて、全て20%オフになっていたのでつい懐かしさ余って3つ買ってしまいました。

いや〜、10数年ぶりのポケモンパンですよ!テンション上がるな〜!

ピカチュウとイーブイとたぶんロコン

おまけのパンには乳酸菌やカルシウムや食物繊維も入っており、子どもの健康への配慮も抜群ですね!

かくいう私も、子どもの頃はそれはもうポケモンが大好きでした。最後にゲームをプレイしたのは10年以上前になるのでポケモンの知識はまったくアップデートされていませんが、あの頃好きだった強いポケモンやかわいいポケモンも、今でも現役できっと出てくるはずです。

さて!懐かしい思い出に浸るのはここまでにして、早速開封していきましょう!

ピリピリピリッ!

1枚目のシールはなにかな〜!しょっぱなピカチュウとか出ちゃったりして〜!

ピリピリリッ

???

はい、ノココッチ(ふたふしフォルム)です。

え〜と…誰だっけ?笑
あー、隣のクラスだったノコッチくんか!久しぶり〜!うん、また後で話そうねー!

同窓会で話しかけられたものの、全然覚えてない合唱コンクールで一回チームになっただけの友達みたいな反応になっちゃってすみません。

どうやらこのノココッチ、23年の時を経て最近「ノコッチ」の進化系として登場したそうです。なんか同窓会みたいな感じがしたのはそういうことだったんですね。

………。

はい!それでは切り替えて2枚目に行きましょう!次はどんなポケモンかな〜!

ピリッ

ピリピリッ

パピモッチ

…お茶犬?

今のポケモンってこんな感じなの???
ポケモンパンじゃなくて、お茶犬パンを買っちゃったのかと思ってパッケージを見返しましたよ。

ほんでパピモッチって。ミスドの新作でもこんなにモチモチした名前してませんよ。

かっこいいポケモンシールを想像してたのに、めちゃくちゃかわいいポン(ポケモンみたいなパン)が出てきて正直動揺してますが、まだ残り1枚あります…!

次こそは!ミュウツーとか!!頼む!!!

ピリピリッ

ピリリリリッ!

やぁ!

いま人類は、ポケモンに舐められています。

見てくださいこの顔。ミュウツーを期待する人類に対して最大限の煽りを表しています。

名前の「ホゲータ」からして「ホゲーーーーwwww」と言いながら大口を開けて煽り笑う、嫌われてる大学のOBみたいなポケモンでしょう。

かっこいいポケモンを期待してたのに…。
こんなのあんまりだよ…。

しかし!人類には、どんな未来も自らの手で切り拓く知恵があります!かっこいいポケモンが出ないのであれば、作ってしまえばいいのです!

ということで、手持ちのポケモンを合成進化させました。それがこちら。

チッチー!

どうも、ホゲッチッチ(ふたふしフォルム)です。
"かえんほうしゃ"と"ハイドロポンプ"と"はかいこうせん"を2個覚えています。

対戦よろしくお願いします。

それでは、本日の本題に入っていきます!
今回は割と真面目なモードが続くのでいつもよりふざけた余談が多めでしたが、引きつづ読んでいただけると嬉しいです。

本題:僕と難病。

まさか自分が難病になるなんて、全く思いもしなかった。
その日から僕は、未知の世界で大きな不安と悲壮を抱えることになる。

それでも大切な人たちが、今の僕を、暮らしを、作ってくれている。

本当にありがとう。難病になっても、僕は1人じゃない。

これは、僕がある日難病になって、それでも前向きに暮らしていけるようになるまでの、小さな物語です。

※初めての方はぜひ、こちらもご一読ください。

3月某日、きっかけ。

最初に異変を感じたきっかけは本当に些細なことでした。

その日は友人と久しぶりに集まって、ホームパーティーの準備をしていました。

机の上にならべるお菓子のひとつに、良くある袋のポテトチップスが並んである。なんの気なしに袋をとって、パーティー開けをしようとつまんだ時。

全くもって、開かない。どんなに力を入れても、持ち方を変えても。

僕は握力が80kgありジムにも日頃から通っていました。お菓子の袋が開けられないなんてことは筋力的にもありえなかったのです。しかし、袋が開くことはありませんでした。

このお菓子の袋、全然開かないんだけど!笑

と笑いながら友人に渡したところ、その袋は簡単に開いてしまいます。

いやいや、余裕だよ笑 疲れてんじゃない?」

こんな会話をしたことをハッキリ覚えています。この日から僕は、明確に「握力への違和感」を感じ始めることになります。

このきっかけがあったことで、後の指定難病発覚の第一歩になりました。

4月某日、天啓あり。

4月に入ってからも何となくの違和感を感じながら、しかし生活に支障はなかったので、病院に行くなんてこともしていませんでした。

そうこうしていると、4月も半ばが迫る頃。
人生で1番と言って良いくらいの大風邪を引きました。

この風邪は僕がなった難病(CIDP)によるものではなく、単純に風邪をこじらせただけだったのですが、あまりの高熱や体調不良のわりには季節外れのインフルエンザでもコロナでもなかったため、本当に"謎"でした。

この風邪は4月末になっても治らず、最終的に副鼻腔炎と一過性の気管支喘息にまでなり、更に5月初旬には咳で喉を痛めて声も出なくなりました。

そのため、最寄りの病院で度々再診しているうちに握力の違和感のことは忘れてしまっていました。

4月も終わりが迫ったころ。妻が僕に

そういえば手の力が入らないこと、お医者さんに相談してみなよ。紹介状もらって大きい病院で見てもらった方がいいよ

と言ったのです。
すっかり忘れてしまっていた僕も、普段なら「今はいいかな。もし酷くなったら考えるよ」と言っていたでしょう。

しかし、当時の僕はひと月の間に内科、耳鼻咽頭科、ぜんそくクリニック、また別の内科、と何度も病院に行き、健康の大切さが身に染み渡っていた健康ジャンキーです。

そのため、妻の言葉がスッと心に入ってきて、その日の夕方には相談しに行くことができました。

この一言は、まさに天啓でした。

その後、大学病院の脳神経内科を紹介され、握力低下の原因がついにわかると思っていたのです…が。
その時はまだ、確定診断までおよそ3ヶ月かかる「診断迷路」の入り口に立っているとは知る由もありませんでした。

しかし今思えば、あの4月の人生でもっとも辛かった大風邪は、いわゆる"虫の知らせ"だったのかもしれません…。

そしてもっと言えば、この時点で「脳神経内科」を紹介されたことは非常に運が良いことでした…。

5月某日、終わらない検査。

そうこうして迎えた5月、僕はもらった紹介状を手に大学病院へ行ったのですが、実はこの時僕の中ではとある病気が頭の中に浮かんでいたのです。

それは「ギランバレー症候群」です。

ギラン・バレー症候群とは、末梢神経の障害によって、力が入らない、感覚がわかりにくい、しびれるなどの症状を起こす病気です。
多くの場合、発症前1ヶ月以内に風邪症状や下痢といった感染症の症状(先行感染)がみられます。

兵庫大学病院, もっとよく知る!病気ガイド, link

某テレビで過去に見たことがあり、風邪症状や筋力低下という点で一致していたため、ギランバレーの可能性が高いと考えていました。

さらに僕にはもう一つ、心当たりがありました。

この病気はウイルスや細菌による感染症が原因になるのですが、そのほとんどが「カンピロバクター」という鶏肉を媒介してうつる食中毒菌が原因菌になります。つまるところ、"生の鶏肉や鳥刺し"が原因となるのです。

そう、僕は2月と3月に2回ほど、鳥刺しを食べていたのです。

時系列にしてみれば以下のようになります。

2月半ば:鳥刺しを食べる(1回目)
3月半ば:鳥刺しを食べる(2回目)
3月末日:握力の低下を感じる
4月半ば:大風邪を引く

これだけを見れば、ギランバレー症候群の可能性が高いと思わざるを得ません。

しかし、ギランバレー症候群とは
・劇症化していない(ほとんどの場合、急に筋力が大幅に失われて最悪呼吸困難になる)
・風邪症状と筋力低下の順番が逆
という点で異なる所見が見られました。

出典:兵庫大学病院, もっとよく知る!病気ガイド, link

ギランバレー症候群の中には軽症ギランバレーという劇症化せずゆるやかに進行するケースもあるため、基本線はギランバレー症候群を疑いつつ次の検査を行うことになりました。

①血液検査
②神経伝道検査
③髄液検査
④頸椎MRI検査

こうしてみると、本当にたくさんの検査を受けたなぁ。頑張った…。

もしギランバレー症候群であれば、①の血液検査で特定の抗体の有無が判明するため、6割は①だけで確定診断が出ます。

4割の"抗体が見つからなかったケース"に備えて②の神経伝道検査(手足の先から電気を流して神経の伝達速度を測定する検査。神経に異常がある場合は速度が一定以上遅くなる)と③髄液検査(腰骨の脊髄から髄液という液体を採取する。異常がある場合はタンパクのみ上がり、白血球数は正常というちぐはぐ状態になる)の来院予約をその場で行いました。

その他の可能性を探るため、手の神経の根っこにあたる頚椎のMRI検査も併せて行い、神経根(神経が出ている根本)に腫れや圧迫がないかを見ることで、整形外科的なアプローチも実施しました。

この時点でできる検査とアプローチは、振り返ってみると実に適切だったと思います。

しかし、結論これらの検査をしても、異常の原因となるものはみつからなかったのです。

僕の難病を見つけるためには、まだピースがひとつ、足りていなかったのです…。

続き、次回へ。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

全てを一度に書いてしまうと分量もかなり多くなってしまうため、今回はここで区切ろうと思います。

次回は僕が受けた検査の詳細や新たな医師との出会いについて、お話しできればと思います。

僕の確定診断までの道のりを知っていただくことは、きっと難病になってしまった誰かの道しるべになると思っています。

そんな想いを込めて記事を書いていくので、5月の検査から僕が歩んでいく道のりを、どうか見届けていただけると嬉しいです。

それではまた次回、お会いしましょう。

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難病と、暮らしと。
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