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学生生活を終え、『四畳半神話大系』の見方が変わった話

『四畳半神話大系』という作品をご存知だろうか。未視聴であれば、ネタバレ注意とだけ書いておく。

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『四畳半神話大系』とは2005年に刊行された森見登美彦による小説であり、湯浅政明監督の元2010年にはアニメ化もしている作品である。

僕にとって四畳半神話大系は森見登美彦を知るきっかっけとなった作品であり何度も観返す程好きな作品だ。無論小説の完成度もさることながら、アニメ版の主人公「私」(CV: 浅沼晋太郎)の常にまいた語り口調や手拍子でも合わせられそうなくらいテンポのいいアニメーションはまさに無類である。

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前に観たのがいつだったかはっきりとは覚えていないが、確か大学一年目とかあるいは高校の終わり頃だったと思う。あれから早四年、大学卒業間近になった今また観ようと思った。

きっかけは以下の通り。

声優の中村悠一さんが41歳の誕生日を迎え、わしゃがなTVにて若かりし頃思い描いた41歳の話題になった時、「だって俺三十超えたら玄田さんみたいになってると思ったもん」と冗談交じりに話していたこと。

なんのこっちゃと思うかもしれないが、つまり大学卒業間近の自分にとって

「なんか思ってたんと違う」

という話題におこがましくも共感出来てしまったところがきっかけとなったわけだ。

やはり大学生活はそれなりに充実はしていたし楽しくもあったけどもう終わりなのか、もっと色々やれたのではないかという寂しさ、そういうことを諸々噛みしめながら脳裏に浮かんだのが『四畳半神話大系』だった。

元々この作品はそういう寂しさと和解するために主人公が苦悩するというのが主旨だったのだろうが、実は高校時代にドハマりした時僕が見ていた作品像はそのまったくの逆であった。

初めて四畳半神話大系を視聴したとき、僕は来る大学生活を見据え期待に胸を膨らませたのだ。

つまり初めから1-10話にかける

「間違いだらけの大学生活をやり直したいと思う私」

よりも最終話の

「バラ色ではないにしろ人生を謳歌する私達を羨む私」

に共感していたということになる。「なんだかんだ愚痴を零しても結局楽しそうじゃん、俺も小津みたいな悪友や明石さんみたいな人に出会って…」なんていう風に思いを馳せていたのである。

ところがどっこい、実際経験してみるとあっという間である。樋口師匠の言う通り世の中は実に雑多な色をしており、良くも悪くも僕の大学生活は例にもれずバラ色なんかではなかった。でもそれでよかったのだ。高校の頃とは違う視点から、もしくはもっと本質的なところで物語を通して「私」により一層共感し前に進むための答えを得られた。

今回僕は「もっとやれたかもしれない」という後悔と向き合うために四畳半神話大系を観返した。そしてその目的は大学8回生の茄子のような顔をしたどうにも胡散臭い樋口師匠の「貴君はまだ人生が始まってもいない」という言葉を起点に果たされたのだった。

今ここにいる君以外、他の何物にもなれない自分を認めなくてはいけない。君が有意義な学生生活を満喫できるわけがない。私が保証するからどっしり構えておれ。-樋口清太郎

これほど安心できる言葉が他にあるだろうか。




結局、四畳半神話大系とはなんの話だったのか?それは泥臭くも憧れる未来を期待させる青春作品なのか。それとも今ある自分とその過去を肯定する学生賛歌なのか。

Genの本棚食堂が本棚紹介動画で話していたように、どの作品にもビビビと来るタイミングがあってそれを逃してしまうと永遠に良さが分からないままになってしまう。または、ピースの又吉直樹さんがインスタントフィクション動画で話していたように読み直すことで作品の全貌見えてくるなんて話もある。僕の場合は観直す事によって四畳半神話大系という作品から状況に応じた複数の答えを頂戴した。

青春作品でもあり、学生賛歌でもあり、はたまたラブコメものでもあるのかもしれない。作品とはつまりそういうものだ。

同じものを何度も読み直し、観直す度につまり色んな出会いがあるということ。噛めば噛むほどなんとやら。

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