Babel.jsとわたし
画面が点滅し、眉間にずきずきと痛みが走る。
おまけにカフェインの摂りすぎか、指を持ち上げる度に手が痙攣した。
もう何時間経過したのだろう、何をしても同じエラーを吐き続ける画面を凝視しながら、わたしはノイローゼになっていた。
先輩に助けを求めたら無能だと思われるだろうか。いや、そんなことはない。一人で悩んで結局出来ない方が無能だと思われる。そのぐらい分かってる。本当はただ、面倒なだけだ。今のわたしには答えを聞いて理解する体力はおろか、正常な会話が出来る自信すらない。相談するぐらいなら、一人で思考せず、だらだらと時間を潰したい。
わたしは、混濁した意識のまま別の解決策を試すべく、キーを打った。数十秒間見慣れたテキストが画面を這い、その間わたしは子供のように椅子の上でぐるぐると回った。しばらくして再度画面に目をやると、エラーは相変わらず無遠慮にわたしを見つめ返していた。
バベル、きっと君のせいなのだろう。けれど、どうして、わたしの邪魔をするのだろう。
わたしが会社で使用している言語にはいくつか方言の様なものが存在している。数多くある言語の中の一つであるのにも関わらず、その言語ですら統一されていないのには、人それぞれがもつ矜持の様なものが内包されているとわたしは思う。ここが嫌い、ここが好き。交わりえない、別々の人生を送ってきた彼等には、どうしても譲れない美しさがあるのだろう。それぞれの方言にはそれぞれの良さがあり、それぞれのぎこちなさがある。しかし、無慈悲にも最後には、皆翻訳機を通してたった一つの統一された標準語に変換される。この翻訳機が、君、バベルである。
わたしは君のことをあまりよく知らない。塔の名前だったか。ただうっすらと、思い描くその姿は、わたしには大きすぎて、まっさきに浮かぶのは恐怖だった。深海の映像を見るのが子供の頃から苦手だった。呼吸も出来ず、自由も利かない、深く、暗い水の中に映し出される巨大な生命体の影は、恐怖そのものだった。君も同じではないか。少なくともわたしにはそう思えて、恐ろしい。
「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」
君はその強い意志で、一体何人の人を殺してきたのだろう。押しつぶされて、圧倒されて、説得されて、わたしの自由はどんどん沈んでいく。やっぱり君を前にすると身がすくむ。嫌いではないと思うけど、招いたつもりもない。君は、君は、なんでそこにいるの。
コンコン。
振り向くと同僚がわたしの気を引こうと、アルミのキャビネットの上を指で優しくたたいていた。
「お昼、食べに行こうよ」
彼女はそう言うと、ぽちぽちとスマホを操作した。
「絵美も来るみたい、そろそろ終わりそう?」
「うん、丁度きりがいいところ」
わたしは適当な嘘をつき、パソコンを閉じた。ディスプレイケーブルで繋がれていたモニターが黒く染まる。軽く髪を整え、乾燥した唇を保湿した。
「用意できた、行こうか」
自由の戻った手足の感触を確かめながら、わたしは席を立った。主人をなくした椅子は名残惜しそうにゆっくりと回転した。