「あの世の話」 佐藤愛子 江原啓之
「死後の世界がなければ、この世の善悪はやはりないと思います。カントはそのようにずっと言ってきましたですよね。」
「あの世の話」 佐藤愛子 江原啓之
何か得体の知れない、自分の中で「本当に本当のこと」を感得したいという、胸の中でモヤモヤとした蠢くものがずっと支配していました。それが何なのかということを考えていました。
僕は約4年前、癌が再発して入院。それからずっと「死」のことがつきまとっています。まるで影を意識した子どものように、振り向いて下を見るとその影があるのです。
退院して結果が良い方向に向かったことでなんとか安堵しましたが、それでも、それ以来ずっとその影を意識しています。
人間は、必ず「死ぬ」ということがわかっています。けれども、僕は真に理解できていませんでした。
「本当に死ぬんだ」ということを容赦なく叩きつけられ、理解させられ、あらゆる欲というものがなくなっていました。
そして
「死ぬときには、お金も何も持って行けないし、今まで生きてきたけど本当に何にもできていない」という後悔の念みたいなものが、荒れた波のように押し寄せてきました。
それ以来、その影が時折視界に入るのです。
昨日の夜もその影が、大きく照らされた反対側に映っていました。
本棚を探しました。ずっと前に買って読んでいなかった本がありました。
「あの世の話」
死んだらどうなるのか?
スピリチュアルな話は、信じているところもありますし、そうでないところもあります。
この本は、佐藤愛子さんと江原啓之さんの対談であります。佐藤さんの質問に江原さんが答えていくという内容です。
江原さんは、死後の世界があるといいます。
江原さんは神の領域のことなので、すべてのことはわからないし、だからこそずっと研鑽してきたことを話されています。
そのうえでの見解になっていますので、「こうだ!」とは言い切っていません。
死後の世界は、人間に近い部分もあれば、人間には理解できない複雑な部分もあるとのこと。
僕が考えていたことの疑問の1つに、生まれ変わりはあるのか?ないのか?
「ある」という人のほうが今まで圧倒的に多かったのですが、「ない」という人の本も読んだことがありました。
真実は1つしかないと思うのに、どういうことなのか?
江原さんはこう答えていました。
再生、生まれかわるということ一つとっても、生まれかわることがあると言う霊能者もいれば、生まれかわることはないと言う霊能者もいるわけですね。
その場合には、その方についている霊だとかが再生の考えを持っていないということ、そのような現場に居合わせたことがないということなんです。
(中略)
しかし、私の背後霊など、質問をしてわからないときは、私の守護霊のまた守護霊によく尋ねています。
ですから、私の背後霊を低く言うわけではありませんけれども、やはり神界と言われる神の部分に関しては答えられないことが多いですね。私自身も知らないと守護霊から言われます。
人間は死ぬと、生前におこなったことに対する意識レベルの階層に行くのだそうです。
良いことをすれば、そんな思いを持っている人たちがいる階層。逆に悪い事をした人たちは (物を盗んだり、人を困らせたり、人を殺したり) そんな人たちの意識の階層へと。
そのように考えると、少しでも自分自身の霊性を高めないといけないと思いますし、悪いことをすれば、死後、地獄と言われているような階層に行くのでしょう。(実際には地獄はないそうです。)
やはり、死後の世界を自覚して霊魂という存在も信じて、そして自分の生き方というものをしっかりと自覚して、日々浮き沈みなく強く生きていくことしかないんでしょうね。
やはり生きる目的を知るというのはとても大切なことだと思うんです。何のためにいきているのか、何のために自分が生まれてきたのかということを知らなければ、この世のほんとうの幸せというのに到達できないんじゃないかと。
カントがそういうふうに言っていたように、そうだと思いますね。死後の世界がなければ、この世の善悪はやはりないと思います。カントはそのようにずっと言ってきましたですよね。
現実のこの世にいると、納得できない理不尽なことが多く、テレビを見れば嫌なニュースばかり。
考えても考えてもわからないことが多いのですが、江原さんのお話は一貫性があり、納得できることが多く「本当の本当のこと」の証明はできませんが、心が満たされてゆくお話でありました。
江原さんが霊能者として歩んできた足跡も語られていますし、具体的なお話が多く、人間に近い霊のお話など興味深い内容でありました。
また
死んでから、親や亡くなった人に会えるのか?(会えるそうです。)とか、前世のこととか、臓器移植や人工授精のことなどが、霊的な見地から語られています。
死後の世界は、物質とか名誉とかない世界なのだそうです。そこがこの世では考えにくいことですよね。
背後霊というものは、物質とか名誉とか、そういったものに一切関心がないです。その方の心境にしか感心を示さないのです。
ですから、病に倒れようと、またはいろんな困難にぶち当たろうとも、それを克服して非常に高い心境を得るということが一番の目的になっているわけです。
入院しているとき、死ぬということが怖かったのです。
それよりも、何も為しえなかったと感じたことがもっと辛く怖いことでした。
生きていてここまでやったという充実感がなく、無になることが怖かった。
これはどういうことなのか。
ただ、このまま何もできずに死ぬのだけは怖い。この「何も」というのは
何なんだろう。
その「何か」を感得するために、私たちはこの世でもがいているのかもしれません。そのために、ここに存在しているのかもしれないとこの本を読んで考えました。
得体の知れない、自分の中に蠢く「何か」
それを感得できたら思い残すことはないのかもしれません。
【出典】
「あの世の話」 佐藤愛子 江原啓之 文藝春秋