「Y」 佐藤正午
「かけがえのない人間の代わりなどどこにも存在しない」
「Y」 佐藤正午
あなたは、無意識のうちになにかを想像している時がありませんか?
また
物思いに耽ったりしているときや、過去を振り返っているときなど、ある映像効果を脳内で再生しているような感覚を覚えたことはないでしょうか?
それが
アイリスイン・アイリスアウト
映画やドラマ、アニメなどでよく見る、画面が丸い円で黒く閉じられたり、または開かれたりする技法。場面が変わるときや、過去のシーンを回想するときなどによく見られる映像効果。
あの時
「ああしておけばよかった」とか
「こうすれば上手くいってたのに」とか
「あの頃に戻って、もういちどやり直したい」とか
僕は妄想していて、ハッと我にかえることがよくあります。とても心地よかったり、あるいは、無性に腹が立ったり、悲しかったり、笑えたり、もういちどあの人に会えないかと願ったり。もう二度とこんなことはしたくないとギュッと目を瞑り、首を激しく振っていたり。
アイリスアウトして過去に戻り、
ハッと過去から覚めて、現実に
アイリスインする。
この物語は意識がアイリスアウトすることによって、時空を超越する特殊能力に気づいた北川健が過去へとタイムトリップします。
北川は過去に遭遇した列車事故から、思いを寄せる女性(水書弓子)、親友(秋間文夫)、妻の両親を救おうとします。まさにその事故の瞬間へとタイムトリップするのです。
そうすると未来は、当然変わりますよね。
世界が2通り存在するようになります。
北川健は2度目の新しい人生を始めるにあたり、全く別の生き方があると考えました。
しかし
全く別の生き方にはなりませんでした。パラレルワールドとなった未来でも、縁の糸は違った形で彼らと繋がれていました。それも皮肉な繋がれ方に。
「かけがえのない人間の代わりなどどこにも存在しない」
「たとえ別の人生を生き直しても、きみたちの代わりの人間などみつかるわけがないし、僕自身もそれを求めてもいないことを。」
そのことに気づいた北川健は、皮肉な繋がれ方を解くために、かけがえのない人を取り戻すために、もういちどタイムトリップしようとします。親友の秋間文夫にこの不思議な現象の謎を解くための「物語」を提示して。
「Y」の読みはじめは、ストーリーがよくわかりませんでした。物語の中に
「物語」が挿入されており、時間軸、人物、背景が、まるでジグソーパズルのピースを脳内にばら撒かれているようでした。
読んでいくにつれて少しずつピースが合わさり、模様が浮かび上がってくるのですが、それも何なのかよくわかりませんでした。
でも
佐藤正午さんの洒脱な筆致にページを捲る手は止まりませんでした。速度を上げてパズルのピースをはめ込んでゆきました。
「Y」の文字のように運命が右と左に分かれてゆく展開と、最後まで「どうなるんだろう?」というハラハラ・ドキドキする感覚が、読むギアをトップに変速していました。
なので読んでる時間は、まったくアイリスアウトすることはありませんでした。スピードに乗ったまま最後のページを通り過ぎました。
読後感にアイリスインすると、「縁(えん)」と「かけがえのない人間の代わりなどどこにも存在しない」という言葉が意識の中に刻まれていました。大切な人は傍にいるのだと。
パズルのピースは謎の女性・北川の代理人という加藤由梨が、最後にすべての理由(わけ)を秋間に語ることで、ピッタリと一致しました。
ただ、言わせていただければ、その出会いは偶然の産物というよりも、もっと自然なもののような気がします。『縁』という言葉により近いものです。
現在(いま)の必然は、私たちにとって大切な人の存在です。愛する人の存在です。そのことを実感できた物語でありました。
出会った人たちや、もう会えなくなった人たちからも、強い「縁」が「今」の自分を支えてくれているのだと。
【出典】
「Y」 佐藤正午 ハルキ文庫 角川春樹事務所