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事実では人を説得できない

人を説得することは難しい

仕事や家庭での生活の中で、そう感じたことがある人は多いのではないでしょうか。

私自身もそう強く思った経験がいくつかあります。


私の同僚に、仕事をより効率的にしたい、職場の体制をより良いものに変えていきたいという強い情熱を持つ人がいました。

彼はとても理論的な人間でした。

改善活動でリーダーを任された彼は、彼の考える仕事のあるべき姿を明確にし、現状とのギャップを洗い出し、そのギャップを無くすための改善案を理論的に積み重ねていきました。

改善活動の協議の場で、彼は自分の考えをチームメンバーの前で披露してチームの問題点をハッキリと非難するように指摘したうえで、彼の考える改善案について説明しました。

それはチーム内での協議の場でしたが、なかば彼の考えの押しつけに近い形でした。

かれの考えは理論的であり、その改善案による効果の裏付けも納得できるものでしたが、チームメンバーは彼に反発し非協力的となり、改善活動の雰囲気は最悪になってしまいました。

私は彼にやり方を改めるように何度も話しましたが、彼は自分の理論の正しさを信じ切っており、自分の考えを理解できないチームメンバーがおかしいんだと思い込んで譲りませんでした。

そして、改善活動はあまり成果が出ないまま終了し、改善活動が終わった後もチームメンバーとの溝が埋まらなかった彼は、そのうち会社を辞めてしまいました。

彼の理論はおそらく正しく、それを行うことで効果が出ることはチームメンバーは理解できていたのに、なぜ彼はチームメンバーを納得させることができなかったのでしょうか。

もう一人、説得が難しいことを痛感させられた相手がいます。それは私の娘です。

別の記事に書きましたが、私の娘は宿題を終わらせるのが遅くて数時間かかっても半分も終わらない状態でした。

私も妻も頭を悩ませました。

宿題を終わらせることで報酬を与えるようにしても、逆に罰を与えるようにしてもほとんど効果はありません。

宿題を行うことの意味をくりかえし丁寧に説明しましたが、それも全く効果がありませんでした。

いろいろと試す中で、ただ一つだけ効果があったのは彼女が宿題をしている姿を『ただ見る』ことでした。

娘に宿題を終わらせてほしいと期待を込めたり、さぼっている姿を咎めたりすることなく『ただ見る』こと、それだけですが娘は不思議と宿題に集中したのです。

『ただ見る』ことをしばらく続けた結果、娘は宿題に集中する習慣がついて短時間で宿題を終わらせられるようになりました。

彼女は報酬や罰、説得に対して何の効果もなかったのに、なぜ『見る』だけで行動が変わったのでしょうか。

色々と勉強していく中で、良い本があったので紹介したいと思います。


事実はなぜ人の意見を変えられないのか

人は、生活の中でいろいろな判断をして行動をしています。
そして、その判断は合理的で正しいと無意識的に思い込んでいます。

この本は、人の判断がいかに合理的でなく、感情やいろいろな要因によって左右されてしまうのかを様々な実験結果とともに解説しています。

人は他人に何かを伝えようとするとき、自分自身にとって説得力のあるものを念頭に置いてしまいます。

ある実験データを正しいと思っている人は、そのデータを用いれば他人も同じように納得するように考えてしまいますが、人間は情報に対して公平な対応をしないのです。

それどころか情報社会に生きる私たちは、大量の情報に囲まれることで逆に情報では自分の意見を変えないようになってきていると、作者は指摘しています。

そして、意見を変えるには意欲や感情を利用する必要があるというのです。


事実では人を説得できない

実は、人は自分賛同する意見しか見えていません。
意見と反対する資料については説得力のない資料だと無意識のうちにみなしてしまうのです。
その結果、ますます自分の意見が正しいと信じてしまうようになります。

自分と反対意見の情報を提供されたとき、自分の意見を変えるどころか新しい反論を思いついてさらに自分の意見を強固にしてしまう現象も起こります。(ブーメラン効果)

本の中で書かれていた以下の言葉が強烈です。

『人間はより正確な結論を導き出すためではなく、都合の悪いデータに誤りをみつけるために知性を使っているのではないだろうか』

この言葉が本当だとすると、頭の良い(と思い込んでいる)人間の集団ほどその意見を変えることが難しい、ということになるかもしれませんね。


アメリカの月面着陸計画はなぜ成功したのか

世界初の宇宙における有人飛行で先をこされたアメリカは開発の後れを取り戻すことを目標にしていました。

次の目標として月を目指したいアメリカですが、そのためには莫大な税金をつぎ込むことを国民に納得させる必要があります。

ケネディはフットボール競技場で18分弱におよぶ情熱的なスピーチをおこない、莫大な国家予算をつぎ込むその「人類史上最も偉大な冒険」は国民の熱狂をもって歓迎されたのです。

多くの人々を納得させるスピーチは、聞いている多くの人々の感情に作用していることが分かります。
それは、年齢や性別や過去の経験を問わずに、多くの人々の脳が脳が同じような反応を示すということです。

私が知っている中で素晴らしいスピーチの一つは小説「下町ロケット」のモデルとなった植松努さんのモノです。

植松努さんのスピーチの間、動画の中の聴衆と同じように自分が笑い、そして泣きそうになっていることに気づきます。

聞いている人の心を変えるのは、理論的というよりも感情を大きく揺さぶられることに関係していることが実感できます。


苦痛と快楽により行動を行う

人は、気分よくしてくれるもの(快楽)に近づき、嫌な気分になるもの(苦痛)から遠ざかる本能的な性質をもっています。

ある実験で、ひよこの前にエサを置きひよこがエサに近づこうとしたらエサを遠ざけ、逆にひよこがエサから遠ざかろうとしたらエサを近づけることを行いました。
ひよこがエサを食べたいと思ったらエサから逆に遠ざかる必要があるのですが、ひよこは最後までエサから遠ざかろうとはしなかったのです。

「快楽」を得るために近づくのは、動物の本能的な行動であることを示しているのかもしれません。

そして、他人に何か行動をさせたい場合は「快楽」が有効ですが、行動をさせたくない場合には「苦痛」が有効ということもわかっています。

つまり、従業員に手洗いを徹底させたい場合には、「手洗い協力感謝します」などの感謝を表すポスターを貼ることなどが有効ですが、機密情報を口外させないようにするためには罰を与えるなどの警告が有効だということになります。


人は主体性を持ちたがる

人は、主体性、つまりコントロールを奪われることに苦痛を感じてしまいます。
また、自分の人生をコントロールできていると感じられる人はより健康で幸せを感じやすいことも分かっています。

高齢者施設における実験で、あるグループは身の回りの管理を自分で行い、別のグループは身の回りのことをすべてスタッフが行いました。
数週間ののち、身の回りの管理を自分で行ったグループのほうが幸福を感じ、活動への参加も積極的で頭脳も明晰になっていることがわかったといいます。

主体性の話で私が思い出したのは、amazonのサイトです。
amazonのAIは非常に優秀といわれ、その人の今までの買い物の傾向などからその人にあった商品を自動的に選んで「これはどうですか?」と勧めてきます。

とくに買い物にこだわりのない人であれば、その提案の中から選んでいけば満足のいく買い物ができるはずです。

これは、私たちが選んでいるのではなくamazonに選ばされているとも言えます。
そのことに苦痛を覚えないのは、あくまでも私たちが「選んでいる」と錯覚できるからなのかもしれませんね。


最後に

冒頭に記している同僚がなぜチームメンバーを説得できなかったのか、そしてなぜ娘は宿題をやるようになったのかを考えてみましょう。


同僚の失敗とは

同僚の失敗の一つは、チーム内の問題点を半ば非難するように指摘してしまったことです。

それがたとえ正しい指摘だったとしても、そのようなやり方では人を不快にするため、本能的に彼から離れてしまいます。

また、彼が自分の考えを正しいと思い込み、協議の場でチームメンバーに押し付けてしまったのも失敗でした。

それはチームメンバーの主体性を奪うことになり、彼の理論が正しかったとしても苦痛を感じるため受け入れてもらえないのです。

では彼がどうすればよかったかというと、問題点を非難するのではなく、その問題点を改善すればこんなに良いことがあるよ、とポジティブな意見に換えればよかったのです。

そして、協議の場ではたとえ自分が正しいと思う考えがあったとしてもそれを押し付けるのではなく、あくまで一つの意見として提案すればよかったのです。

どうしても自分の意見を採用させたいのであれば、事前に私に相談したりしておけば、私と彼で協議の場をうまく持っていきたい方向に誘導することもできたでしょう。


娘はなぜ『見る』だけで宿題をするようになったのか

子どもの場合、大人にくらべてさらに感情で行動を左右されることがまず第一にあると考えます。

宿題について報酬を与えることも、罰を与えることも、どちらも子供を「宿題をやる状態」にコントロールすることになります。

そして、それは宿題のやることの意味を説明することも同様です。

私の娘は他の子と比べても特にコントロールされることへの反発心が強いのだと思います。

そして驚くべきことに言葉に出さなくても、相手に期待した目でみることや非難がましい目で見ることすら、コントロールしようとする行動になるということです。

『ただ見る』ことは、コントロールする意思を放棄しているため、なんの反発心も起こさずに娘の自主的に宿題をしようという気持ちを呼び起こしたのかもしれませんね。

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