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映画評 夜明けのすべて🇯🇵

(C)瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞した瀬尾まいこの原作同名小説を『きみの鳥はうたえる』『ケイコ 目を澄ませて』の三宅唱監督で実写化。

PMS(月経前症候群)のせいで月に1度イライラを抑えられなくなる藤沢(上白石萌音)と、パニック障害を抱え生きがいも気力も失っていた山添(松村北斗)は、職場の人たちの理解に支えられながら過ごす中で、恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えはじめる。やがて2人は、自分の症状は改善されなくても相手を助けることはできるのではないかと考えるようになる。

本作はPMS(月経前症候群)とパニック障害の特定の病気を描く映画ではない。抱えることになった生きづらさとどのように向き合い、共生し合って生きていくかという、三者三様、様々な生きづらさや悩みを抱える人たちに向けて寄り添った普遍的な映画だ。

本作が示す回答の一つに、互いに理解し合うことが挙げられる。病気のことはもちろん、病気によって生活環境がどのように変化したのか、発症した後は落ち込むか、発症してる時は他者からどのように映るのか。自分には分からない自分を理解することに繋がるだけでなく、気を使わせる罪悪感からも解放される。

身近な人を自死して亡くした自助グループ描写も本作のテーマを語る上では欠かせない。参加者は皆、身近な人の悩みを理解してあげられなかった後悔の念を抱えている。聞く耳を持つこと、聞き入れ受け入れる態度を示すこと、そして互いに助け合うことで傷を癒やし、残りの人生に活かしていく。理解し合うことは最悪の事態を免れるだけでなく、未来を見据えた行動なのだ。

絶望の淵に立たされていた2人だが、互いの人柄や病気を理解し合い、助け合う関係性を築く過程は見ていて心和まさられる。踏み込んでいるようで、守るべき一線は超えないよう気を使うべきところの均衡を守っているのが、見ていて心地良い。そして笑顔を取り戻し、新たな一歩へと挑戦しようとする2人の姿に、「自分もなんとかなるかもしれない」と勇気が貰えるだろう。


(C)瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

そしてもう一つ、生きづらさを抱えながら生きていく上では、居心地の良い場所に身を添えることも本作が示すテーマだ。

藤沢と山添が前を向けたのは、栗田科学という病気に理解がある職場だったからであろう。他にも、過度に干渉しないが孤立させることもない人間関係、肩書きはあるも上や下を意識しないですむ風通しの良さなど、まさに理想郷だ。

特に、藤沢がイライラしてしまい会社の人たちに迷惑がかかったと思い、お詫びの菓子折りを持ってきた際「気にしちゃダメ。決まりになっちゃうから」と断る台詞が印象的だ。相手を理解する風土が無ければ、このような台詞は出てこない。居心地の良さは無駄に気を使う必要も無ければ、必要以上に使わせないことなのかもしれない。

きみの鳥はうたえる』では歪な三角関係を『ケイコ 目を澄ませて』は聴覚障害者ではなくボクサーとして、1人の人間として真に向き合いながら居心地の良い関係性と雰囲気を演出する三宅監督の作風とマッチしているのも、人間生きる上で場所は重要であると優しいタッチから伝わってくる。場所が人を作るのは勿論だが、根底は人なのだと。

ラストシーンは、プラネタリウムを企画するという原作には無い展開だ。2人が前を向き新たに踏み出した一歩を形に残すという意味で素晴らしい改変と評価できる。また、「夜明け前が一番暗い」という、苦しいことは永遠ではなく、むしろ絶望の中に希望が見えてくるという、本作の本質を着いたまとめ方としも秀悦だ。そして、生きづらさを抱える全ての人に向けた「大丈夫」というメッセージに、生きる活力を貰えるだろう。


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