映画評 グラディエーターII 英雄を呼ぶ声🇺🇸
アカデミー賞で作品賞や主演男優賞など5部門を受賞した『グラディエーター』の24年ぶりとなる続編。前作でかんとくをつとめたリドリー・スコットが再びメガホンを握る。
将軍アカシウス(ペドロ・パスカル)率いるローマ帝国軍の侵攻により、妻を殺された男ルシアス(ポール・メスカル)。すべてを失い、アカシウスへの復讐を胸に誓う彼は、マクリヌス(デンゼル・ワシントン)という謎の男と出会う。ルシアスの心のなかで燃え盛る怒りに目をつけたマクリヌスの導きによって、ルシアスはローマへと赴き、マクリヌスが所有する剣闘士となり、コロセウムで待ち受ける戦いへと踏み出していく。
『グラディエーター』は素晴らしい映画であった。あの手この手でグラディエーターを殺しにかかる様々な仕掛けに釘付けになり、手に汗握る決闘を展開する。ドラマパートも見応えがあり、マキシマスとコモドゥスを対比として描くことで、善と悪、慈愛と酷薄の両極端に位置する2人の攻防にも目が離せなかった。そしてラストは涙なしには見られない。
完璧のように見える映画ではあるが、一つだけ消化不良がある。腐敗したローマの再建はできていないことだ。前作はあくまでもマキシマスの復讐という個人に集約された物語。グラディエーターとして勝ち進み民衆の支持を得たものの腐敗した一つの国を良くしたわけではない。前作の16年後を舞台にした本作は、コモドゥスよりも薄情な双子の皇帝が王の座に着き、密かに王の座を狙うマクリヌス(デンゼル・ワシントン)。良くなるどころか悪化している。
本作は前作のような濃厚な人間ドラマは薄い。だがそれは意図的でグラディエーターとしてローマに連れてこられたルシアス(ポール・メスカル)が戦う相手は腐敗した国そのもの。予告でも流れていた通り、ルシアスは王家の血を継いでいる後継者。つまり腐敗したローマの行く末を左右する運命にグラディエーターとして立ち向かうストーリーなのだ。背負うものはマキシマス以上で闘う意味の重圧は計りし得ない。
勧善懲悪に振り切った悪役、様々な仕掛けを駆使するコロッセオでの戦闘シーンなど面白い場面も多々あるのだが、同時に疑問符が残る描写も多々あるため、私個人的な評価としては普通と大作映画としては厳しめだ。
というのも前作との比較及び解釈によっては、本作の評価は大きく揺れることになるだろう。まずルシアスがマキシマス並みに戦闘力と統率力を持っている説得力が薄い。マキシマスの場合は周りのグラディエーターが信用する過程を丁寧に描けていたのに対し、ルシアスは殺人ヒヒを怯ませただけ。そこから一気にスターダムへと駆け上がり、周りが信頼するのだが駆け足すぎる。
統率力に関してもマキシマスの場合、冒頭で自軍を率いて敵軍を破滅させるシーンを描いているため、統率シーンに説得力があった。冒頭シーンでルシアスも統率力はないわけでは無い描かれ方をするのだがあくまでも自軍の話。捕虜にされグラディエーターになってからは、周りのグラディエーターに説得力をもたらせるほどの統率力は見せていない。
そして何より一番解せないのが、皇帝アウレリウスの意思を継いでローマ帝国を平和に統治しようとすること。前作の評論で私はこう評した。
ルシアスのやろうとすることはアウレリウスの野蛮性に蓋をし、現皇帝を引き摺り下ろすために美化して政治利用する、非常にプロパガンダ臭を漂わせているようにしか見えない。またローマ帝国周辺は平和になるかもしれないが、ローマによって滅ぼされ統治された国々まで恩恵を受けれるかと言われれば首を捻りざる得ない。むしろアウレリウスもマキシマスも現皇帝も全員野蛮と切り捨てた上で、ルシアス自身が夢見る平和なローマのために闘う方が良かったのでは無いだろうか。