映画評 猿の惑星/キングダム🇺🇸
名作SF映画『猿の惑星』をリブートした『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』に続くシリーズ第4弾。『メイズ・ランナー』シリーズのウェス・ポールが監督を務める。
人類は野生化し、猿たちが支配者として君臨していた300年後の地球。巨大な王国を築く独裁者プロキシマス・シーザーによって村と家族を奪われた若き猿ノアは、人間の女性ノヴァと共にプロキシマスの絶対的支配に立ち向かう。しかし、ノヴァは猿たちの知らない“秘密”を握っていた。
舞台は『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』から300年後の地球。ついに覇権は人類から猿へとバトンが渡された。人類の建築物を草木が覆い、見渡す限りの大自然。まさに猿をはじめ動植物たちにとっては理想の環境であり、猿が生態系の頂点に君臨するに相応しい。さらに、全員が言語を話し、文化も形成される。猿が主導の新たな歴史の1ページが始まろうとしている。
ノアとその家族は冷酷な独裁者シーザーによって捉えられるのだが、まさに人類が犯してきた負の歴史そのもの。暴力による支配、知識・知恵の独占から生まれる格差、人権無視ならぬ猿権無視の奴隷待遇など、覇権が猿に移ってもなお歴史は繰り返す。
猿主導の歴史が浅い分、シーザーが影響を受けたのは人類が積み上げてきた歴史。キングダムはその具現化だ。歴史は平和や発展のために用いられる一方で、用いる目的や用いる側・影響を受ける側の倫理観によって負の影響を及ぼす。今現在でも行われている戦争や大量虐殺、各地域で蔓延し温床と化する人種差別は歴史が背景にあるように。真に野蛮なのは人間の方か。
シーザーと対照的に描かれるのが、オラウータンのラカ。文学や天体望遠鏡など人類の叡智に感銘を受け、歴史の意図を正しく解釈しようとする。争いは好まず、家族を探しに旅をするノアを手助けするように、平和への道筋として歴史を解釈しようとしている。シーザーとラカの比較から、なぜ歴史を学ぶのか、歴史を通じて発展や成長する意味という根本的な問いが見えてくる。
ラカの存在、ノアとシーザーの対決、謎の少女ノヴァから、本シリーズのテーマは「人類の歴史を批評し、猿主導の新しく正しき道を歩む歴史を作る」という軌道修正と見た。特にノヴァの目的が明るみになったラストは、新たな争いが勃発しそうな人類史における新たな負の1ページが刻まれるのではないかと予想している。