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映画評 異人たち🇬🇧

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

1988年に大林宣彦監督によって映画化された山田太一の小説『異人たちとの夏』を『さざなみ』『荒野にて』のアンドリュー・ヘイ監督によって、現代のロンドンを舞台に再映画化。

ロンドンの静かなタワーマンションに暮らすアダム(アンドリュー・スコット)は謎めいた隣人ハリー(ポール・メスカル)と偶然出会い恋に落ちる。ハリーとの関係が深まるにつれ、アダムは子供の頃の世界に引き戻される。両親の思い出をもとにした脚本の執筆のために訪れた実家で目にしたものは、30年以上前に亡くなったの両親が、当時と同じ姿のままで暮らす様子だった。

大きな改変点は、舞台が浅草からロンドンに。異性愛から男性同士の同性愛に変わったこと。特に後者の改変はネット上反発もあったそうだが、その批判は的外れと断言できる。

そもそも『異人たちとの夏』は両親とのエピソードに焦点が絞られがちだが、根底にあるのは登場人物が耐え難い孤独を抱えていること。主人公のアダムは、自身がゲイであることに後ろめたさを感じ、打ち明けられずにいることで孤独を抱えている。

であるからこそ同じ境遇を抱えたアダムとポールのラブシーンは、同じ傷を負い理解し合える者同士による癒しとしてのカタルシスがある。自分はもう1人ではないのだと。『ムーンライト』を連想させる照明の使い方が、より官能的で神秘的な演出になっている。

本作における改変は、原作のレガシーを現代的に再構築したもので、改変への批判は、ゲイ及び社会的マイノリティのみならず、様々な事情で孤独を抱えている人たちが生きにくい社会へと追い込むことになっていると自覚すべきであろう。


(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

しかし、多くの人が『異人たちとの夏』で最も感動したであろう亡き両親との再会と共に過ごす時間の描き方は、改変の煽りを喰らってしまったと言わざるえない。

そもそも両親を演じた役者のミスキャスト感は否めず、ジェイミー・ベルは父親というよりかは久しぶりに会った同級生にしか見えず、クレア・フォイはいかにもこれから起こりそうな表情と雰囲気を醸し出すため、帰りたいと思える場所としての説得力がない。片岡鶴太郎と秋吉久美子の足元には到底及ばない。

アダムが両親に会うために実家へと足を運ぶもどこか辿々しいのがマイナスポイント。ゲイであることを打ち明けられなかったこと。打ち明けた後愛されないのではと怖かったこと。ありのままの自分を受け入れられる経験をしなかったことで他者と分かり合えず孤独を抱えていることをカミングアウト及び苦悩を打ち明ける。

苦悩自体は原作のレガシーを守っているのだが、亡き両親と再会し喜んでいるというよりかは、言いたいことを言えずにモジモジしている様子が延々と続いてしまう。嘘でも思い出話に華を添える前置きをしてからカミングアウトすれば、亡き両親との再会という最もエモーショナルの最高潮を叩き出しつつも、家族仲が良くても言えない事がある事の大きさを演出できる。ゲイであることを言う言わないで悩むだけでは、家族がいる観客の心を捉えきることはできない。

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