映画評 ビーキーパー🇺🇸🇬🇧
『エンド・オブ・ウォッチ』『スーサイド・スクワッド』のデヴィッド・エアー監督とジェイソン・ステイサムがタッグを組んだリベンジアクション。
アメリカの片田舎で養蜂家(ビーキーパー)として隠遁生活を送る謎めいた男アダム・クレイ(ジェイソン・ステイサム)。ある日、彼の恩人である善良な老婦人がフィッシング詐欺に遭って全財産をだまし取られ、絶望のあまり自ら命を絶ってしまう。怒りに燃えるクレイは、社会の害悪を排除するべく立ちあがる。
幾度となく悪の組織を崩壊に導き、更には人間を襲う古代巨大サメも退治する。どんな相手でも勝ちまくるステイサムの無類の強さは、もはやブランド物。筋骨隆々で強靭なフィジカルを持ち合わせる養蜂家という異様かつユーモラスな絵面であっても、安心が勝るのはステイサムがアクションスターである何よりの証拠だ。
本作でステイサムが戦うのは犯罪組織でも無ければ、巨大サメでもない。モラルを失った社会そのものだ。資本主義社会の腐敗を象徴したかのような組織的詐欺集団、絶対的庇護に胡座をかいた暴走の歯止めが効かない国家権力。思い当たる節が国境の垣根を越えて一つや二つ浮かび上がるのは偶然ではない。本作の舞台はアメリカだが今世界中で起きてること。
危険に怯え混沌としている現代社会であるからこそ、ステイサムがビーキーパー(養蜂家)として戦うことに意味がある。ミツバチを外敵から守り駆除するように、詐欺集団や腐敗した権力者を退治するステイサムのアクションは、社会に対して溜まっていた鬱憤を晴らし、抱かざる得なかった不安感を解消させてくれる。弱者のため、社会から悪を根絶するために戦うステイサムは正にヒーローだ。
しかし『ウォッチメン』や『ダークナイト』でも描かれたように正義は必ず暴走する。序盤こそ、詐欺を行った悪党らを倒し復讐を遂げる爽快さはあるものの、中盤以降は暴力の露悪性が際立ち、ステイサムが英雄から殺戮マシーンと化してしまう。護衛するために雇われているだけの特殊部隊や事件を捜査しているだけのFBIらなど、死ななくても良い人たちが次々とアダムの手によって殺されていく。
ステイサムが演じた英雄は腐敗した社会が産んだ悲しきモンスターだ。法を遵守し、社会的強者が社会的弱者を守り、権力を保身のためでなく人々のために行使することができれば、暴力によって無駄な血を流さずに済んだであろう。歯止めの効かない正義の暴走ほど恐ろしいものはない。それでも「そこまでしなければ世の中は変わらないかもしれない」とステイサムの暴力に納得してしまう自分がいた。