映画評 HOW TO HAVE SEX🇬🇧🇬🇷🇧🇪
ギリシャのリゾート地を舞台に、10代の少女たちの友情や恋愛やセックスが絡み合う夏休みを描いた青春ドラマ。第76回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリ受賞。
タラ、スカイ、エムの親友3人組は卒業旅行の締めくくりとして、パーティが盛んなクレタ島のリゾート地マリアへやって来る。3人の中で自分だけがバージンのタラはこの地で初体験を果たすべく焦りを募らせる。バーやナイトクラブが立ち並ぶ雑踏を、酒に酔ってひとりさまようタラ(ミア・マッケンナ=ブルース)。やがて彼女はホテルの隣室の青年たちと出会い、思い出に残る夏の日々への期待を抱くが。
思春期における苦い思い出に対して「あの時こうすれば防げてた」とタラレバに駆られる時がある。それは物事を俯瞰的に見れ、過去を振り返れるほど成長した証である一方、物事の捉え方や言語化など経験が少ないが故だ。
本作における思春期の苦い思い出を性行為の初体験をテーマに呼び起こさせる。初体験をテーマとして扱った映画は『スーパーバッド 童貞ウォーズ』や『初体験、リッジモンド・ハイ』などコメディ映画として描かれる。ある種、初体験を済ませられないティーンの悩みに寄り添いつつも自虐的なコメディとして描かれることが多い。
だが本作は『水の中のつぼみ』の描き方に近く、初体験を済ませたい性的欲望と済まさなければならない焦燥感を捉える。3人組の中で唯一性経験が無いタラの立ち位置を見れば分かりみが深くなる。性経験の有無、自分だけ望まぬ進路などタラは他者と比較したことで生じるコンプレックスを抱えている。学業や見た目の良さでは他2人と同じ土俵に立つことはできない。同じであるための唯一の方法は性経験のみ。
夜のビーチで、初体験の相手になるかと思われた人とは別の人と流されるがままに初体験を済ませる。しかしその直前に「帰りたい」「服を脱ぎたくない」など拒絶の言葉を濁しながら断ろうとする。性行為を求めていたはずのタラではあるが、その欲求は本心かと聞かれればおそらくNOだ。彼女は本心と義務感に板挟みされている。
焦燥感によって突き動かされつつも行為を済ませれば世界が変わって見える希望を胸に抱いていたはず。しかし終わってみれば、好きでもない人と性行為に及ぶ妥協、同調圧力に屈した迎合、最終的に「YES」と同意のもとに行われた後に引けない責任と自分自身についた嘘。
タラが初体験を済ませてから一夜明けた街並みは、ネオンカラーが飛び交う風景に若者たちの熱気があったとは思えないほどの散乱したゴミと聞こえてくる閑古鳥の鳴き声。行為を済ませても世界は変わらず理想は最も簡単に打ち砕かれるところに共感ポイントを持ってくる。
その後タラが待ち受けていたのは、初体験を済ませる前とは変わらない親友同士の関係性、理解してしまったことによる自分の気持ちを弄んだ失望と怒り、エスカレートする望まぬ行為の被害未遂。タラが果たした通過儀礼の先に待ち受けていたのは、さらに広げてしまった内面に負った傷だ。
それでもタラを被害者のままで終わらせない。飛行機の搭乗口に向かう途中で、これまで迎合するだけの彼女が初めて抵抗したかのように、本心を打ち明ける。その姿はあまりにも痛々しく悲しさに溢れているが、同時に真に大人の階段を登った一瞬を捉える。まるでは「人の価値は性行為などの記号的なものでは決まらない」と訴えかけてくるように。タラが一夏で過ごした地で微かな希望を見出したことに、救われた気持ちになった。