映画評 笑いのカイブツ🇯🇵
「伝説のハガキ職人」として知られるツチヤタカユキの同名私小説を原作に、笑いにとり憑かれた男の純粋で激烈な半生を描いた人間ドラマ。
不器用で人間関係も不得意なツチヤタカユキは、テレビの大喜利番組にネタを投稿することを生きがいにしていた。毎日気が狂うほどにネタを考え続けて6年が経った頃、とあるラジオ番組を通じて「ハガキ職人」として注目を集めるようになる。憧れの芸人から声を掛けられ上京することになるが、ツチヤを待ち受けていたのは社会の厳しさだった。
岡山天音が演じたツチヤタカユキは、正しく努力の天才といえよう。24時間場所を問わず常にお笑いのことを考え、ネタをおろしている。部屋に山積みになったノート、仕事中こっそり聞いてるラジオ番組、ボケを千個思いつくまで終わらない自らに課す課題。しかも6年も続けているという精神力。天才と気狂いは紙一重とはまさに彼のことを言う。
しかも結果を出しているのがまた凄い。大喜利番組では頂点を極め、ラジオ番組で採用される率は日に日に高くなる。養成所に通うこともなく、ネタ100本持参したことで作家見習いとして採用される。しまいには、憧れの漫才師がパーソナリティを務めるラジオ番組の放送作家として職を手に入れる。
成功するだけでも凄いことだが、人生をかけて何かに熱中して取り組むことそのものがまず凄い。彼を気狂いとラベリングしたが、成功し夢を叶えるためには、気狂いになるまで努力し続ける以外方法などないと啓発の意味を込めて反省させられた。
しかしツチヤには社会性が著しく欠けている。人間関係不得意が足を引っ張る。仕事中にラジオを聞いているのはもってのほかで、碌に仕事もこなせず、職場の同僚や上司には「笑いに全身全霊をかけているから」と自身の態度を正当化する始末。
また、見習い作家で入った劇場もラジオの放送作家も人間関係及びコミュニケーションのトラブルで後にすることになってしまう。お笑いの価値観の違いを巡っては相手を罵倒し尊厳を平気で傷つけてしまう人に居場所はなかった。面白いから、面白くなるために努力しているから偉いわけではない。むしろ偉い偉くない以前として、最低限の社会性が欠けてることで、ツチヤの努力が水の泡になるのは見ていて居た堪れない気持ちになった。
それでも本作は何かに一生懸命になって取り組めるツチヤを羨望の眼差しで捉える。ツチヤとの対比で登場するミカコ(松本穂香)とピンク(菅田将暉)のように、一生懸命に取り組めないどころか、むしろ何に熱中すべきか見つからないのが一般的であろう。放送作家を首になった後の3人の飲み会のシーンは、それぞれの気持ちがぶつかり、かつ感情移入によって気持ちがぐちゃぐちゃになる。
また、令和ロマンが監修を務めた漫才シーンも素晴らしい。ツチヤに注目し放送作家として招き入れたベーコンズが、ツチヤが書いたネタで漫才をし爆笑を掻っ攫う。その後のエンドロールで土屋の名前が流れた時、「決してツチヤの努力全てが無駄ではなかった」と。誰かを笑わせること、書いたネタを芸人が一生懸命演じてくれていること、ツチヤの努力はちゃんと実を結んでいたことに涙が出る。
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