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映画評 どうすればよかったか?🇯🇵

(C)2024動画工房ぞうしま

ドキュメンタリー監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したセルフドキュメンタリー。

面倒見がよく優秀な8歳上の姉。両親の影響から医師を目指して医学部に進学した彼女が、ある日突然、事実とは思えないことを叫びだした。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母は病気だと認めず、精神科の受診から彼女を遠ざける。その判断に疑問を感じた藤野監督は両親を説得するものの解決には至らず、わだかまりを抱えたまま実家を離れる。

鑑賞中も鑑賞後も「どうすればよかったのか?」と自問自答することになるとは思わなかった。統合失調症を患ってしまった姉。病気と認めずに治療を受けさせなかった両親。何もできない蟠りを抱えながらカメラを回す監督。もし仮に自分自身がどの立場に立ったとしても、何もできない自分自身を責めることになっていたかもしれない。

本作のあらすじや予告だけを見た人の中には「病院へ連れて行けば良いだけじゃん」と正論を述べるかもしれない。だが問題を一つの解決方法に括れば良いということでもない。エリートであるが故の家庭環境、『ニトラム/NITRAM』を連想させる周囲の視線、ご両親が専門性を極めたからこその正確性バイアスなど、正論では太刀打ちできないような一概に解決方法を提示できるものではない。

冒頭に提示されたテロップにある通り、本作は統合失調症の問題提起を投げかけるものでもなければ、統合失調症の治療法を解明するためでもない。あくまでも藤野家で起きた残酷で目を背けたくなるような出来事を記録しているホームビデオ風のセルフドキュメンタリーに過ぎない。

やり方によっては社会問題として、病気のことを専門的に掘り下げ、データを取り、行政や世間の風潮を批評しつつ改善方法を提示するなど問題提起を投げかける作りにもできたであろう。それでも一家族に焦点を当てているのは、社会全体と個々で抱える事情は似て非なるもので、複雑で時に不明確な背景によって、他の誰とも取り替えが効かないものであると認識させられる。どれだけ病気に詳しくても、行政の支援が行き届いても、どれだけ正論をぶつけられても藤野家にとっては後の祭り。

本作のドキュメンタリーは監督自身が「どうすればよかったか?」の問いをカメラを回してる時から本作が公開されている今でも常に自問自答し続けているように見える。統合失調症を発症した時も、簡単に治療法が見つかり数十年は何だったのかと憤りを抱えた時も、元気に外を出歩いてる時でさえも、姉がこの世を旅だった後も全ての出来事が重くのしかかる。辛い思い出は辛く、家族の楽しい思い出はより残酷さが際立つ形で。

そして現在進行形で語り継がれる機能を持つ映像とカメラを回すことしかできなかった監督の蟠りがリンクする辛さが画面越しから伝わってくる。おそらくカメラを回しながら観客と同じことを思っていただろう「どうすればよかったか?」

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