【エニアグラム】ネットで嫌われているタイプ2とタイプ6
嫌われてますね。春眠ねむむです。
このタイプ2とタイプ6、どうして嫌われているのでしょう?
今回はそこのところを、この2タイプの共通点を軸に語っていければ思います。
2タイプと邪気眼
まあ、長話を求めていない人もいらっしゃることでしょう。というわけで、最初に答えを書いておきます。
邪気眼使いにとっては絆とかゴミだから。
両タイプとも、人との絆を非常に大事にするタイプです。そこが、邪気眼使い的には気に食わないポイントなのでしょう。
邪気眼使いには、自認タイプ5の他に、タイプ8、タイプ4あたりを名乗っている人がうじゃうじゃいます。
トライタイプは当然の458。特に5w4と8w9の多さは、マジでどうしたと言わんばかりです。
まあ実際は「ちーがーうーだーろー!」みたいな人が大半を占めるわけですが……それはそれ。今回のお題目には関係ありません。
とにかく、絆を忌み嫌う痛い人たちからの評判が非常に悪いのは間違いないでしょう。
どちらも仲間ありき
ここで一度、タイプ2とタイプ6の共通点について洗い出してみましょう。
どちらのタイプにもまず共通するのが、「仲間を非常に大切にする」という点です。
タイプ2は言わずもがな、タイプ6も「不安」「支え欲しさ」という二台巨頭から仲間を非常に大切にします。
そしてどちらのタイプも、とにかく仲間ありき。タイプ6の中には変わり種も僅かにいますが、基本的に仲間がいなければ何も始まらない人たちです。
タイプ2はつながりという愛情。タイプ6は安心と安定。目的は違えど、どちらも人を大事にすることがお目当てをゲットする近道です。
そのため、非常に人に親切。ここがまず、邪気眼使いたちの癇に障るようですね。
ともあれ、非常に親切な2タイプ。親切だからこそ嫌われ、見下される傾向、あると思います。
親切=馴れ合い
唐突ですが、邪気眼使いたちは馴れ合いというものが嫌いです。なんだか弱そうだし、キモいからです。
なぜキモいかは、多分半分くらいルサンチマンが入ってます。残りの半分は意思を持たず空気ばかり読んでいることが原因でしょう。
邪気眼使いたちにとって、自分の意思という名の好き勝手は自分の強さを自覚するために必要不可欠な要素です。
そのため、意思も責任もなく人に合わせる人を見下すのでしょう。
そして困ったことに、彼らにとって親切心は馴れ合いの第一歩。「自分は強い」「自分は素晴らしい人間だ」という思い込みを手放す羽目になりかねない危険因子となります。
某掲示板には、「タイプ2は邪悪で醜悪な存在」といった旨の書き込みがされていました。
これも馴れ合いを嫌う邪気眼使いの悲痛な叫びと思えば、意外と違和感なく飲み込めます。
とはいえ、半分はルサンチマン。多分現実で人に優しくできなかったり、そもそも優しくするだけのコミュ力も人間関係も持ち合わせていない人だって多いはず。
こういう人たちからすれば、親切心の発揮は反吐が出るほど眩しく、そして恨めしいものとなります。
人の善意をわざわざ「偽善」と非難し、人格まで否定する人たちがいますよね。あの過剰攻撃には、劣等感や親切という概念への敵愾心、そして人に親切にするのをやめた自分へのもどかしさが含まれているわけです。
馴れ合う奴は雑魚
また、「馴れ合わない孤独の自分は格好いい」という自惚れもまた、ネット民が持ちがちな特性なのかなと。
これが意味するところはというと、「仲間ありきのタイプへの軽蔑」。
孤高のボッチ厨二病たちにとって、仲間と歩調を合わせるということはダサいことです。なぜなら、強さとは一人で生きていくことだから。
要するに仲間なんてものを大切にする奴は雑魚なんですよね。本当の強者は仲間など作らず孤高に生きると。そういう論調です。
もっとも、そういう人たちも「仲間なんてクソだよね」と意気投合して馴れ合っているわけですが……当人たちはそんなつもりは微塵もありません。むしろ当記事を見かけると一気にねむむアンチに傾くでしょう。
とにかく、馴れ合いは雑魚のすること。この認識もまた、タイプ2やタイプ6が嫌われやすい要因なのかなと。どっちも積極的に仲間を欲しがるタイプですからね。
まとめ
というわけで、今回はタイプ2とタイプ6が嫌われる理由について色々と考えてみました。
見出しタイトルで仲間を欲する人から嫌われ、内容をしっかり読んだ掲示板の住民からも嫌われ……私は一体何を目指しているのでしょうか?
とまあそんな愚痴はともかく、タイプ2もタイプ6も、仲間を作りたがるからネットで嫌われる。こういう感じですね。
もともと仲間や馴れ合いを忌避する環境がネットでは完成されています。そこに「この人たちは仲間を欲しがりますよ」と紹介されても、当然受け入れられることはないわけです。
本当に人との距離感を十分に空けたいだけなら、黙って近寄らなければいい。にもかかわらずいちいち嫌って全否定するのは、やっぱり上記のような「群れない強い俺様たちと違って弱い存在」みたいな気持ちがあるのかなと。
あるいは、ルサンチマン的な要素も否定しきれませんね。もともとネットは、現実世界で人との関係構築に失敗した人のセーフティネット的な要素もあるのです。
いずれにせよ、過剰に敵視されがちな気がする両タイプの「なぜ嫌われる」にちょっと突っ込んだ記事でした。
自前のブログにも色々好き勝手綴ってあるので、よければそちらも見てやってください。それでは、私は逃げます!