再勉生活! ClassworkとHomeworkに人生を捧げてる!
屋根裏部屋にあるダンジョンで、世界各地から集まった学生たちが、一刻も早くこの「地下牢生活」から脱出してフル・サラリーの定職を持とうと切磋琢磨していました。
博士課程学生のほとんどは、大学との間に50%のResearch Assistant(RA、研究助手)契約を結んでいます。
これは、通常のポスドク(博士号を持った研究員)給料の半額を得て担当になった研究を行い、残りの50%の時間は自由に使っていい、という条件です。さらに、大学院の授業料が免除されます。
この「50%の給料+授業料免除」は、日本の多くの給付型奨学金よりも、かなりいい条件です。ただ、研究資金が乏しい場合、また学生の能力に疑念がある場合、さらに半分の25%になることもあります。
この「アサインされた研究テーマ」が自身の博士研究テーマと重なるのが理想です。しかしながら、なかなかぴったりとはいかず、先生(Advisor)から博士研究と無関係の仕事を頼まれることもあります。
極端な場合、当初の研究テーマ資金が打ち切りになり、資金源がまったくの別テーマに変わることもあります。学生は、博士研究のテーマを変更するか、給料をもらう仕事とは別に、いわばアングラ的に元のテーマを続けるか、選択することになります。
RAの他、Teaching Assistant(TA)の学生もいます。これは、授業の手伝い(実験指導、採点、代講)で給料を得る職で、研究テーマと完全に無関係な仕事に時間を使うことになります。
給料は大学から出るので、研究資金を持たない教授もこの名目で学生を養う事ができるのです。
隣室の留学生I君は、教授がプロジェクトを失ったためにResearchからTeachingに鞍替えとなり、採点程度などのTAで25%、共通機器の保守管理業務(25%)と組み合わせてなんとか元の生活水準を維持していました。
さて、教授の「アドバイス」に従って講義を取りまくった私の1年目は、予習復習と宿題に追われる毎日となりました。
日本の大学でも最近は講義シラバスを事前配布しますが、ここに採点方針が細かく書いてあります。
このHomework(宿題)が曲者で、学部の講義だと毎週課す先生も多く、試験は宿題の延長的な問題が多いので、やらざるを得ない。学生もたいへんですが、毎週押し寄せる解答を採点しなければならないTAには同情します。
私も宿題のために夜遅くまで屋根裏部屋にこもりました。時には徹夜になります。
小学生の頃、宿題を忘れてもヘラヘラ笑っていたかつての自分に見せたい、と思うほどです。
「ToshiはClassworkとHomeworkに人生を捧げてる!」
講義名がぎっしり書かれた、それこそ小学校の時間割のようなカレンダーを見て、また、宿題に追われる姿を見て、友人たちにはよくそう揶揄われました。
英語には自信がありましたが、最初は先生がボソボソ話す、宿題の提出期限や休講などの情報が聞き取れず、周りの自分より10歳ほども若い学生に何度も確かめたものです。
同じ講義を既に取ったことのある同室の友人、P君やXさんからも試験の出題傾向など、貴重な情報をもらいました。
講義に追われながらも、博士研究のテーマを決めるため、研究室の先輩と議論したり、関連論文を読んで、いくつかの案を作りました。
Payne教授に案を持っていくと必ず、
「おお、それはいいじゃないか!」
とまず大賛成し、
「ただ、こういう問題もある」
と技術上の制約や、安全上の疑念を付け足します。
持ち帰ってよくよく考えると、なかなか実行が難しいテーマだとわかってきます。
ある時、博士論文のテーマとして私にやらせたい仕事はないのか、と先生に問うたことがありました。
先生は、
「私はキミに金を払っていない。だからキミには研究テーマを選ぶ自由がある」
と言うのでした。
これは、契約が全ての国アメリカだから、では必ずしもなく、Payne先生独特の考え方でした。
彼の研究室には、私の他に先生が給料を払っていない学生がもうひとりいました。この人は学部時代の成績がきわめて良く、大学の給付奨学生に選ばれ、大学院5年間の生活費と授業料免除が保証されていました。
しかし、講義単位取得と先輩学生の下請け的な研究でなんとか修士号はとったものの、博士研究に相応しいテーマを考えることができず、やがて実験室にも来なくなり、奨学金打ち切りと共に去っていきました。
この学生は退学の前によく、
《『キミには自由がある』と言って研究テーマを与えてくれないAdvisor》
について不満をもらしていました。
これは人生における《本質》のひとつであり、《自由》が与えられて喜ぶ場合と、(困った素振りは見せなくても)困る場合があるのだと思います。
「場合」を「人」と置き換えてもいいかもしれません。
会社の仕事も同様です。
与えられる《自由》が大きいほど、実は《責任》も重く、悩みが深いものです。
<この続きは……>
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?