紙媒体時代の「雑誌編集者っていうのは《不動産屋》みたいなもんなんだよ!」
noteに書くエッセイの長さについて考察記事を書きました:
noteは電子媒体ですので、主に「読んでもらい易さ」の観点で考察しましたが、紙媒体との比較、さらに研究者時代の経験をお話しすると面白いかもしれない、と思い立っての続編です。
紙媒体では、「原稿の長さ」が直接、雑誌や単行本の「コスト」にリンクします。
結果的に決まる「本の厚さ/重さ」も感覚的重要さがあるようです。
サラリーマン研究者の時代、新しい材料やプロセスを開発すると、特許出願後に科学論文として学術雑誌に投稿することがありました。
特にインパクトの大きな成果は、NatureとかScienceのように著名な雑誌に論文を投稿します。
20年程前のある時、画期的な材料を開発したメンバーが書いた原稿が、何度も上司にダメ出しを食ったことがありました。
この人は、系統的な実験を行い、高性能な材料組成を見出したストーリーを克明に書きました。
上司は長すぎるから削るように何度も言うのですが、なかなかスリム化ができない。
ついに上司(一流研究者です)が切れて怒鳴りました。
「いいか、こういう雑誌の編集者っていうのは、《不動産屋》みたいなもんなんだよ! 自分が担当する《土地》の面積は限られている ── その限られた土地に、できるだけ立派なビルを建てたいんだ! 無駄な建物に貴重な《土地》を使いたくないんだよ!」
そして、ダメ押ししました。
「お前の苦労話なんか、誰も読みたくないんだ! エッセンスとインパクトを知りたいんだよ!」
その後、私もある学術雑誌の編集長を仰せつかったことがあり、この《不動産屋》感覚はいくらか理解できました。
その頃から学術雑誌も「電子化併用」の時代になり、紙媒体が担当する「限られた土地に立派な建物」部分はさらにエッセンスのみを求めるようになり、例えば「実験に供した試料の作成方法」というような付加情報は、URLから「追記」に飛んで、電子的に閲覧するシステムになりました。
テレビCMでタレントが簡単に商品を紹介した後、
「詳しくはwebで!」
と付け足すのと同じです。
あれも、テレビは「CM時間の長さ」がそのまま「コスト」ですが、ネットの電子情報はそれがユルイ(もちろんサーバー負担はありますが)からですね。
さて、紙媒体時代は「長さ」がコストとなるため、ものすごく重要なパラメータでした。雑誌の1ページと見開き2ページでは大差でした。
電子データの時代になり、そのあたりが緩くなったように見えますが、実はコストがアクセシビリティーに変わったのであり、重要性は不変、と思います。
文字数以外で、noteを始めて気になったのが、「行間が大きく/頻繁に空いた記事」です。「紙媒体」時代ではあり得なかった形態です。
とはいえ、私自身も以前書いた《縦書き×紙媒体》原稿をnote用の《横書き×電子媒体》に変換するにあたり、試行錯誤を経て、こんな方針にしています:
《空白行》なんていうのは《文字数》とは異なり、電子媒体での負担は(サーバー負担すら)「ほぼゼロ」でしょうから、媒体側としても問題ゼロなのでしょう。
従って、かなり純粋に「読みやすさ」だけが読者サイドの評価基準になります。
《縦書き×紙媒体》世代で育ったジジイには、《空間大&頻度大》記事は読みにくく感じますが、スマホ世代には逆、なのかもしれませんね。