「かわらけに、味噌を少し」
高校で古文・漢文を教え、かつ、大学受験科目にもする、ということには賛否両論あるようです。
曰く、
「現代社会 ── 特にビジネスで使えない科目に貴重な時間を遣うのは無駄」
── 確かにそうでしょうね。
欧州の中等学校でラテン語の授業が徐々に必修でなくなっていったのと同様に。
でも、高校生だった頃の僕たちは ── 少なくとも僕は、結構k古文を愛しており、日常にも使っていました。
よく引用されたのは吉田兼好『徒然草』の中の一節:
例えば、名古屋には珍しく雪が降った日に校庭を歩いていると、足跡を指さして、
「おりたちて跡つけなど、いとわろし」
などと言ってくる友人がいました。
これは徒然草の『花は盛りに』中の一節で、無粋な人たちの仕草を羅列している箇所の一部を引用しており、兼好法師を倣って、
「雪に靴跡を付けて悦に入っているのはダサいぜ!」
とからかっているわけです。
この友人とはワンゲル部の同期でしたが、バリバリの理系にもかかわらず、私同様、古文や歴史を愛していました。
ちなみに、私が特に好きだったのは『虫めづる姫君』で、今でいう『リケジョ』の物語でしょうか。
この物語を含む短編集『堤中納言物語』は岩波文庫で愛読しました。
ワンゲル部で山に登らない時の活動は、トレーニングと称して数キロのランニングを行い、ついでに河川敷や公園でソフトボールの試合をする、というものでした。
でも、雨の日などは ── そして次第に雨天以外も ── 部室で紙麻雀に耽っていました。
そして、土曜の午後などは(当時はまだ半ドンでした)誰かの家に集まってよく雀卓を囲みました。
麻雀をやりながら夕刻になってくると、きわめて自然にビールを出してくれる家が2軒ありました。
そのうちの1軒でのこと:
ホストの御母堂がビールを出しながら(といっても4人に大瓶2本ぐらいですよ)、
「おつまみは何がいいかねえ?」
と尋ねました。
すると、件の徒然草フリークが応えました。
「それでは、土器に、味噌を少し」
お母さんはもちろん、わけがわからず、キョトンとしたはずです。
『徒然草』の第215段で、『花は盛りに』と同じく、教科書に載っていたため、私たちは知っていました。
この種の会話を『学を衒っている』と嫌う人もいるでしょうね(いや、……教科書の一節を憶えていただけですが……)。
まあ、彼の ── いや我々の ── 若気の至りと許してやってください。
このエピソードを想い出したのは、8月の終わりにビールをお供に夕食を1人前いただいた後、もう少しだけ酒が呑みたくなり、徒然草のエピソードのように残り物はないかと探したら、まさに、
── 金山寺味噌とマヨネーズを混ぜた、キュウリに付けて食べた残りが(ピーターラビットの)陶皿にへばり付いているのを見つけた時でした。
「土器に、味噌を少し」の友人は、優秀かつ勉強家で、地元の国立大学医学部に現役で合格しました。
けれどその年の冬、スキーで滑降中、大木か鉄塔に衝突し、19年の生涯を閉じました。
東京にいた私は葬儀には行けず、母が代理で参列しました。
後日、彼の写真が1枚だけ載ったアルバムを遺族から受け取りました ── 今でも家にあります。
彼を想う時にいつも浮かぶのはなぜか、
「土器に、味噌を少し」
では漢文は……