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「谷崎も好きですが、死んでいるので会えません!」
売れない小説家だったため、これまでの人生で(知人友人を除き)私の本を買って読んだ、という人に会ったのは1度きりです。
その人は(今こうして書いていても信じ難いが)日本に住むベルギー国籍の女性でした。
彼女は(もちろん事前にアポを取って)当時私が勤めていた会社にやって来た。ベルギー王国大使館が主催する技術系の講演会で、1時間の講演を行うことになっており、その下打ち合わせでした。
どこで(@東京)、どんな趣旨での講演会か、など丁寧に説明してくれたあと、雑談になりました。
「日本語がお上手ですね。どこで学んだのですか?」
尋ねると、
「私は、スイスの大学で、── 日本文学を勉強、── しました。日本の小説、── 大好きです」
「ふーん。……でも、まさか、私の書いた小説は読んでいないよね」
もちろん、『言ってみただけ』、単行本も文庫本も刊行から10年以上経ち、既に絶版になっていました。
「え? 小説、書いているのですか? なんていう小説? ペンネームは?」
「『木村家の人びと』というのですが……」
知るわけないか、と思いながら口に出すと、
「知ってます!」
と立ち上がった。
「あ、あああ!」
先刻渡した名刺と私の顔を見比べた。
「大好きな小説です! 本、買いました! 今も家にあります! 文庫本ではありません! Hard coverです! うれしいです! 小説家に会ったの、初めてです。握手してください!」
むしろ、こちらが感動し、礼を言った。
講演会に本を持参するのでサインして欲しい、と頼んだ後、彼女はこう続けた。
「谷崎も好きですが、死んでいるので会えません!」
その夜、酒を吞みながらメールを開くと、彼女からのメール(表題「ありあとうございます」)が入っていました。
何がうれしいかというと、私が好きな小説のトップ10の中に入る本を書いた作家と出会えたことです。谷崎潤一郎はとても好きですが、なくなっているので、サインをもらう希望はないです!
「希望」は「望み・可能性」の意味でしょう
── ああ、まだ生きてて良かった!
(谷崎の名前が出て来たのは、苗字が似てたからかな……)