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「全身小説家」=「生きている《虚構》」という映画(ネタばれ要素アリ/写真は故・井上光晴氏)

会社勤めをしていた頃、映画同好会に所属していた。
その活動というのは、ひと月かふた月に1度、社内のホールでDVDを使った映写会をすることと、会費を集めて購入したDVDを会員に貸し出すだけだった。

ただ、どういうコネなのか、新作が封切られるとチケットが手に入るらしく、私はしばしばそれをもらって劇場に行った。2枚もらった時は娘をお供に出かけた。
それと引き換えに、同好会のニュースレターに「感想を含めたエッセイ」を書かされた。
私の書く、時に映画の内容とはほとんど無関係のエッセイはけっこう人気だった。

実は、下記の記事も、映画「がんばっていきまっしょい」のチケットと引き換えに、後日書いたエッセイである:

'94年度の毎日映画コンクール日本映画大賞が原一男監督の「全身小説家」に与えられた時、同好会長がやってきた。
「この映画を見て、感想を書いてもらえませんか? この手の物は誰も行き手がないんです」
『この手の』とは、〃暗い〃とか、〃重い〃とかいうニュアンスらしかった。

この映画の噂は聞いていた。
作家・井上光晴の生き様と死に様を撮ったドキュメンタリーということだった。

そもそも、井上光晴の読者でない人が興味を持つはずはないだろう。第一、映画の題名が奇妙である。かくいう私も、彼の作品は、19歳の頃に「虚構のクレーン」と「地の群れ」を文庫本で読んだきりである。

しかし、
(映画というのは虚構/作り物だからいいのではないか? ドキュメンタリー映画、というのはどうも自分に馴染まないな)
食わず嫌いでそう思いながら、今池のミニシアター「名古屋シネマテーク」に出かけた。

翌週、同好会長に送った原稿は次のようなものだ:

**********

今池は高校時代の遊び場だが、かつて愛したライブハウスもスパゲッティー屋も今はない。バスと地下鉄を乗り継いで日曜日に出かけた。

映画は初め、声も態度もでかい井上光晴が取り巻きのおじさん・おばさんたち(井上が主催する「文学伝習所」の人々で、彼を手放しで敬愛している)に自分の半生や文学について語り、取り巻きが彼をほめちぎる場面が三十分ほども続き、
(こんなのばっかりで2時間半も持つのだろうか?)
と首をひねっていると、画面は二つの方向で、次第に深みを増してくる。

一つは彼の身体に巣食うがんが、結腸から肝臓、そして肺、心臓へと転移し、死に向かって確実に歩み始めた主人公を、結腸癌手術からさらには肝臓摘出手術に至るまで、徹底的に撮りまくるのである。

二つめは、主人公が話し、書いていた彼の生い立ちや想い出の重要な部分が実はほとんど嘘であった事を、親族や古い知人たちの証言で明らかにしていくのである。出生地も嘘ならば、家族の構成も偽っていた事がわかり、原一男自身も呆れながら撮っているようだ。

「全身小説家」という題名は、おそらくこの両者から来ている。つまり、

(1)全身を癌におかされながらも文学伝習所の人々と酒を呑みつつ文学を語る彼の小説への打ち込みを描き、

(2)小説だとことわって書いている事だけでなく、事実としてこれまで語られてきた彼自身の人生が一つの大きな虚構であり作品だった事を暴露した映画なのである。

―― 映画館を出た人は、私がそうだったように、なるほどこれはすごい映画だ、とつぶやくに違いない。そしてうなずく事だろう、確かに全身小説家だ、と。

**********

さて、《虚構》、要は《嘘》、である。
私も一時期、《嘘》をつくのがうまかった ── らしい。
というのは、ある種の「盛り上げネタ」として作り話をすると、結構信じてしまう人がいるのだ。

今でも時々、家族から、
「いい? 家の中だからいいけど、世間でそんなこと言っちゃだめだよ。まさかそんなことで《嘘》を言うなんて誰も思わないから、信じちゃうよ!」
とマジ顔で警告されます。
「いや……だって、冗談だってわかるだろ?」
「わからないよ!(ほぼ怒鳴り声で)」

新卒で入社したのはあまり大きな会社ではなかったので、ホテルのホールを借り切って、全社員が出席した新入社員歓迎会が立食形式で開かれた。
30人ほどの新卒の中で、私だけが既に2年前から妻帯していることがわかると、何人かのオバサン社員が強い興味を示した。30代から50代ぐらいの方々です。

「ねえねえ、どうやって奥さんと知り合ったの?」
彼女たちは質問を浴びせてきました。
私は一寸の曇りもない、《天使の瞳》で答えました。
「……ボクたちは、ふたりが6歳の時に親同士が決めた許嫁いいなずけどうしだったんです」
「ええっ、ホント!」
「はい。だから、子供の頃からずっと、大きくなったらこの人と結婚するんだ、って信じてきました」
「へえ! 今でも……そんなこと……あるんだ!」
多くが目を丸くしましたが、中には、
「田舎の旧家ではそういうこと、あるみたいよ」
としたり顔で言う人もいます。

そのあたりでやめておけば良かったのに、その場の全員が信じてしまったので、もう1段、ギアを上げました。

「結婚してもう2年になるんでしょ? お子さんは?」
── この『お子さんは?』という質問に、その頃の私はかなりうんざりしていました。
「子供はいません。……実は僕たち、結婚はしていますが、そういう関係じゃないんです」
「はい? そういう関係じゃないって……どういうこと?」
「清らかな関係、っていうんでしょうか。手をつないだりはしますが、キスもしないし、子供ができるようなことは一切していないんです。……そんなことしなくても、彼女とは仲が良くて、幸せですから」
「ええ、ホント? 全然してないの?」
「はい……まったく」
当時《セックスレス》などという単語は、一般に存在していません。

オバサンたちは紛糾しました。
ある人は、
「すごいわね……結婚以来……1度も、なの? よく……それで……」
と感心し、別の人は、
「あなたねえ、それは間違ってるわよ! 奥さんも本当は待っているはずよ!」
とほとんど《説教モード》に入りました。

(……これはマズイことになったかな、でも今さら、
「嘘だぴょーん」
とも言えないし……)
混乱する女性たちをそのテーブルに残し、私は別のテーブルに移動しました。

ま、そこで逃げ出すようでは「全身小説家」にはなれませんね。

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