
ふたりきり文芸女子会@『光る君へ』最終回
今年の大河ドラマはいろいろな意味で独特でした。
《天皇や皇太子の妻に自分の娘を送り込み、男子を産ませて天皇を継がせ、ファミリーの政治権力を強固にする》
という平安貴族の最高価値 ── 事実ですが、現代にそのまま持ってくると身も蓋も無いフレーズになってしまう。
おそらく、人類最古の長編小説作家の人生を描こうとしたのがこのテーマ提起の動機であったことは間違いないのでしょうが、その作家を動かした「リアル」は避けて通れない……。
私の父は極めて真面目な人物(堅物、というか、スクエア、という意味)で、TVはほぼ「公共放送の(という言い方を実際していた!)NHKしか見ない ── だから、当然の如く大河ドラマも欠かさず見ていたようです。
それが、三谷幸喜脚本、香取慎吾主演の『新選組!』あたりから批判的になってきた(もちろん、私は別人格)。
その後の大河を見ていても、現代ドラマっぽい役柄やストーリーが顔を出すたびに、
「……史実とは違うだろう」
と不愉快そうにつぶやいたものです。
彼ほどでなくても、『大河=歴史に忠実なドラマ』という公式を信奉しているシニア(に限らないか…)、かつては多かったことでしょう。
最終回の『光る君へ』で一番印象的だったのは、白髪交じりになった清少納言と紫式部のふたりきり文芸女子会でした。
お互いに、
「あなたはもう書かないの?」
的やりとりがありましたが、あれは現代感覚の会話で、もう出仕しなくなった彼女らには(歌詠み程度の短さならいいけれど)、
・発表の場がない(これが大きい!)
・高価な紙をふんだんに使えない
という制約のため、新たに長い作品を書くことは、事実上不可能だったのでしょうね。
でももちろん、『大河』の本質は(現代人が視聴者というばかりでなく)現代ドラマであり、現代人が主人公に自分の身を置いて共感できることが最も重要なのでしょう。
この女子会で清少納言が言ったセリフ:
「『枕草子』も『源氏の物語』も、一条の帝のお心を揺り動かし、政さえも動かしました。たいしたことを成し遂げたと思いません?」
これはおそらく、
「このドラマ、結局、一体、何を描きたかったのだろう?」
という視聴者の疑問に先回りして解説したのでしょう。
最終回に向けての企画会議で議論があったのだと想像します。
「いやあ……戦国時代ものなんかと違って毎回あまり進展がないし……結局このドラマ、1年もかけて一体、何が言いたいの、って声、多いんだよね」
「それは……こういうことでしょう……」
「ま、そうなんだけどね。伝わってるかなあ?」
「いやあ……」
「じゃ、最終回で清少納言にでも言わせますか?」
でもその、『政さえも動かしました』というフレーズ中の『政』、この記事の冒頭に戻り、
《どの妃が天皇の関心を魅き、閨閥政治がどちらの閥に傾くか》
ということではありました ── いや、それが最重要政治案件だったわけですけどね。
紫式部はその日記中で、清少納言に対して辛辣な評もしていたらしいので、この『女子会』は架空のものでしょうが、どうせ架空であり、しょせん現代ドラマであるならば、
・彼女たちは、上流貴族のリクエストを利用して自分たちの表現したい創作やエッセイをものした、作家としての『快』を語り合い、
・自意識が高く、互いをライバルと考えているからこそ、あのように仲良くではなく、罵り合わないまでも、皮肉たっぷりに批評し合う
── ぐらいの人間臭さが欲しかったなあ……。
と思うのは、私だけでしょうか???