過去という星空を眺める
心は確固たる輪郭を持ってはいない。
心は星々をまとめ上げた星座のように、
あるいは、空間に広がる雲のように、その輪郭はぼやけている。
そして、そのぼやけた輪郭は時と共に変化してゆく。
―――近内悠太(『利他・ケア・傷の倫理学』155頁)
▼▼▼過去は変えられる▼▼▼
過去は変えられる、と最近僕は強く思うようになった。
歴史修正主義の話をしているのではない。
日本会議界隈などの保守勢力の「歴史戦」は、
人類に対する罪だと思っている。
「歴史戦」ってだいたいなんだよ。
主観と価値判断を排除して実証的に構築する、
学問としての「歴史学」に対するリスペクトのなさという、
頭の悪い本性が見えちゃってる。
恥を知ってほしい。
そうじゃなくて今日話したいのは、
僕たち一人ひとりが、
「過去を変える能力を持っている」ということについてだ。
タイムリープもののアニメの話をしているのではない。
異世界転生の話でもない。
記憶を書き換える能力者の話をしているのでもないし、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の話でもない。
そうじゃなく、
「そもそも過去というのは現在にしか存在しない」
という、少々、哲学的な話になる。
僕たちは「過去がある」と思ってるんだけど、
その「過去」というのは、
現在の自分に影響を与える限りにおいて意味がある、
という心理学の考え方がある。
過去に起きた出来事が重要なのは、
僕たちがその出来事を意味づけ、
その意味が現在の僕たちに影響を与える限りにおいて重要なのだ。
あなたが5歳のとき、
あなたの町の隣町で、
あなたの知らない人が、
あなたの知らない親から虐待を受けた。
この「過去の事実」はあなたにほとんど何も影響を与えない。
一方、あなたがもし虐待を受けたのなら、
その「事実」はあなたを今日も苦しめ続け、
離婚や依存症や精神疾患の原因となり続けるかもしれない。
つまり僕たちが「過去の記憶」と呼んでいるものは、
僕たちの脳内にある過去の記憶、
もっといえば「物語」であって、
その物語が現在の僕たちに影響を与える限りにおいて、
その過去の記憶は意味を持つのだ。
そしてこれが大事なのだけど、
「物語」はアップデートされうる。
「記憶」は書き換えられるのだ。
これは「書き換えることが可能だ」という意味というより、
記憶というのは常に書き換えられ続けている、
という必然に近いものと理解してほしい。
じっさい、最新の睡眠研究では、
REM睡眠中に僕たちの脳で起きていることは、
「記憶の編集と書き換え」だといわれている。
『身体はトラウマを記憶する』という本から引用しよう。
、、、何を言おうとしているのか。
僕たちは過去を書き換え、
記憶を編集しながら生きている。
それは「未来を創りながら生きている」
ということと等価なのではないか、
という僕の直観を、今日は言葉にしてみたいのだ。
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