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「写真詩」ブログを10年書き続けてきた私が、今まで書けなかったその魅力を書き連ねてみた

こんにちは、写真詩作家の辻本瞬です。

普段は下記ブログとTwitter、Instagram(@ShunTsujimoto)等で写真詩作品を発信しています。

今回のnoteでは、ブログに今まで敢えて書かなかった、

◆写真詩の魅力
◆私が写真詩を作り続ける理由
◆これからの写真詩について

など、つらつらと書き綴ってみようと思います。


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私のfc2ブログを見て頂くと分かりますが、そちらは作品のみを只アップしており、その作品背景や、どう言う想いで作った作品なのかと言った情報は、敢えて排しています。


芸術に作者が自分で「解説」を入れる行為は、何か格好が付かないというか、言葉を選ばずに言えば「野暮」だと言う思いが消えなかったから、と言う理由が第一です。

作品は、受け取って下さった方が居た瞬間に、その方のものです。

それを、作り手の私がどうこう言うのは少し違うと感じていました。

しかし、Facebookの記事紹介や、Twitterのハッシュタグ等ではどうしても「補足情報」をアップする自分の行為に、何か一貫しないものも感じてはおりました。

折角、このnoteのアカウントを作ったので、いつもどう言う気持ちで作品を作っているのか、どう言う想いで作品を発信しているのかも書いてみます。

(fc2ブログは引き続き、作品発信のみのブログとなります。ここまでこころの内を明かすのは初めてです。どうか最後までお読み頂けましたら幸いです!)


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「写真詩って何ですか?」

私が「写真詩を作っています」と自己紹介すると、必ず尋ねられるのがこの質問です。

私は次のように答えています。

「写真にキャッチコピーのような印象的な言葉を添えて、新しい作品世界を作っています」

大概の方は納得して頂けますが、それでも実物を見て頂いた方が速いと判断した場合は、上記のfc2ブログをご覧頂いたりしています。


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「面白い写真詩ってどう言うもの?」

私の中では一貫した答えがあります。

それは、

「写真と詩の距離感が絶妙で、写真が『化けて』見える作品」

です。

どう言う事か、説明します。

例えば、

*空の写真に、「おはよう」に繋がる言葉が書いてある

この例は、別に写真が空である必要は無いと感じます。
写真が「挿絵」の様になってしまっている、勿体ない例です。

「距離」と言う言葉を使うなら、写真と詩の距離が遠過ぎると言えましょう。

勿論、Twitter等でそう言った投稿をされている方を否定する訳ではありません。
私の中の「面白い写真詩」と言う基準とは、そもそもベクトルの違う投稿と個人的に位置づけています。

逆にこう言う作品はどうでしょう?

*ビルの写真に、「ビルの説明」に準ずる言葉が添えてある

この場合は、詩が「写真の説明文」となってしまっており、距離が近すぎる例と感じます。

では、絶妙な距離感の写真詩とは?

拙作で恐縮ですが、こちらをご覧ください。

過去の作品で大変に恐縮なのですが、この辺りが
*写真が詩の挿絵になっていない
*詩が写真の説明になっていない
(=丁度良い距離感)
*「写真が化けている」とお褒めの言葉を頂けた
と、私の目指す方向性を一応満たしている作品の一つになるのではと思っております。

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「でも綺麗な写真を撮るのが難しいんだけど?」

私個人の考えでは、「非の打ちどころのない完璧な写真」が写真詩に向くとは必ずしも言えないと思っております。

写真とは面白いもので、結局カメラを持った個人が
「あ、この瞬間っておもしろいな」
と感じた時にしかシャッターを押さないんですよね。

「私はこれを面白いと思ったんだ!」

そう宣言出来る写真が出来たら、それは立派な写真詩の素材たり得ると思います。


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「さっきから『写真が化ける』って言ってるけど、それはどう言う事?」

これは言葉足らずで失礼致しました。

私が頂く感想の中で、非常に嬉しい種類のものに次のようなものがあります。

「写真を見て、詩を読んで、もう一度写真が見たくなる。
 その時見た写真は、一度目とは違う代物に見える」

この現象を、私は「写真が化ける」と呼んでいます。
詩が写真を化けさせる、とも言えるかもしれません。

写真と詩の「距離感」が近過ぎても、遠過ぎてもこの現象は起こりません。

写真の奥に在るイメージ、
それを救いあげた詩の奥底にあるイメージ、
両者が響き合う時だけ、「写真が化け」ます。

辻本瞬はこれからも、写真が化ける「写真詩」を創るべく精進してまいります。


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「将来の目標を教えて?」

写真詩仲間がもっと増えたら楽しいと思います。
写真詩と言う表現形態がもっと身近な存在になったら楽しいでしょうね。

将来的には、まだまだ夢ですが、

「写真詩って小学校の頃一度は皆やった事あるよね」

みたいな存在になったらこの上ない幸せです。

今はまだ、「写真詩って言うのは~~」と言う説明が必要です。
「写真詩」と言う言葉が一般的に使われる様になって欲しいです。

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「この日本で写真詩を発表し続ける意味は?」

いきなり壮大な話ですが、日本語、日本と言う文化の中には、写真詩と親和性が高い要素が存在すると信じています。

例えば、漫画です。
西洋文化圏の漫画との比較論を読んだ事がありますが、日本はイメージ(絵)と台詞(言葉)が複雑に絡み合った表現が可能な言語でもあるらしい、と言う事です。

「鳥獣戯画図」の昔に、漫画のルーツを求める方もいらっしゃいます。

そもそも日本語は「表音文字」である平仮名、片仮名と「表意文字」である漢字を色とりどりに組み合わせて語られる言語です。

どうでしょう、音とイメージ、形と意味、絵と言葉、写真と言葉の組み合わせで面白く遊べる、こんなに素晴らしい言語は滅多に出会えないのではないでしょうか?

日本語は「表音」「表意」双方の文字がある事から、右脳と左脳のスイッチ、使い分けが得意な話者が多いと言う研究結果もある様です。

どうですか?

普段「日本語」を沢山話して聞いて書いて読んでるよ、と言うそこのあなた。

あなただけの写真詩を作って見ませんか?

イメージと音、意味の融合、ぶつかり合い、それはそれは奥深く、難しく、この上なく楽しい表現だと思っています。

日本語なら尚更、その面白みを共有しやすい、と言うのが、拙いながら私の伝えたい想いです。


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【まとめ】

私、辻本瞬はこれからも良い作品を作り続ける事を目指すと共に、写真詩がもっと世に広まる活動に力を入れて参ります。

これをもって、私の2019年始まりの言葉とさせて頂きます。

本年もよろしくお願い申し上げます。
皆様にとって素晴らしい一年となりますよう、お祈り申し上げます。

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【おまけ】

fc2ブログで最も読まれている記事をご紹介致します。

何故か、作品ではなくプロフィール記事です(笑)

喜んで頂けるほど面白い経歴かどうかは保証致しかねますが、こちらも合わせてお読み頂ければ幸いです。

それでは、またお会いしましょう!


 

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辻本瞬
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