Shunch!_san

世界中を放浪して生きていきたいと夢見ていた幼少期。気づけば生まれてこのかた半世紀ほぼ浜…

Shunch!_san

世界中を放浪して生きていきたいと夢見ていた幼少期。気づけば生まれてこのかた半世紀ほぼ浜松住み。書くものは多分旅のこと、歴史のこと、食べ物のこと、それからほんのちょっと建築のこと。ほぼほぼ個人的な備忘録になりそうな気配。

最近の記事

なんでnoteを始めちゃったのかなぁとぼんやり考えていたら、知的情熱を肉体的に表現するってことが推進力になっているんじゃないかと気づかさせてもらった件

最近読んだlifehackerの記事 北極冒険家・荻田泰永氏 の言葉、いっぱい刺さる言葉があったなか、ひとつ抜粋。 萩田さんは冒険に限らず「人間とは、知的情熱を肉体的に表現する生き物である」と考えている。 人間は知的情熱を肉体的に表現する生き物である! まさに、 写真を撮る人、 動画を撮る人、 絵を描く人、 楽器を弾く人、 歌を歌う人、 スポーツをする人 旅をする人、 料理をする人、 車をいじる人、 パソコンを自作する人、 プログラミングする人、 DIYに没頭する人、

    • 被 ヒ・こうむる・おおう・かぶる・かずく

      今朝、NHKラジオで被相続人という言葉が難しいからもっと簡単な言葉・わかりやすい言葉が必要なのかもしれないようなことを言っていた。 ながらラジオだったので前後の文脈は聞いておらず、ここの部分だけ聞いて、 なんでもかんでも簡単にすればいいもんじゃない。被相続人は被相続人のままでいいじゃん。それで意味が通じるでしょ。通じないのかな?わざわざ別の言葉を探し出して混乱したり長ったらしい言葉になるより今まで通りでいいじゃんっと。母親と話をした。 母親「そうだよね。相続を受けられない

      • 東海道ウォーキング①-1 2014年 地元濱松宿から東は日本橋、西は京都三条大橋を目指し、歩き始めた。

        東海道ウォーキングのこと現在の東海道ではなく、なるべく江戸時代に存在した東海道をゆっくり眺めながら200年前、400年前は、きっとこんな風景だっただろうと最大限に想像力を働かせながら歩く、そんな旅を楽しんでいます。 書き始める前に、なぜ歩こうと思い始めたのか考えてみた。まずは旅行好きの祖父母の影響と、祖父の実家が二川宿の脇本陣を営んでいて、高祖父が子供の頃、東海道を明治天皇の行列を2階から眺めて怒られたなんていう昔話を聞かされてきたことに影響をうけたからだと思う。 祖父母

        • 餅街道 ① 三重県、餅街道を江戸時代以前創業の店を訪ねる。まずは桑名宿〜関宿の旧東海道沿線へ餅を食べに行ってみよう。

          三重県、餅街道を江戸時代以前創業の店に限定して探索。 第一弾として、旧東海道沿いの桑名宿・四日市宿・関宿を訪ねてみる。 はじめに桑名から旧東海道を京都方面へ歩いていると、桑名の安永餅・四日市のなが餅・関宿の関の戸や志ら玉、伊勢方面に目を向けると立石餅・福徳餅・へんば餅・赤福…と餅を用いたお土産が多いことに気づいた。 餅米がたくさん収穫できたのか。何らかの理由から餅を食す風習が古来からあったのか、なんて色々想像しながら歩いた。 家に戻ってインターネッツで調べてみると、当た

        なんでnoteを始めちゃったのかなぁとぼんやり考えていたら、知的情熱を肉体的に表現するってことが推進力になっているんじゃないかと気づかさせてもらった件

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        • 東海道ウォーキング①-1 2014年 地元濱松宿から東は日本橋、西は京都三条大橋を目指し、歩き始めた。

        • 餅街道 ① 三重県、餅街道を江戸時代以前創業の店を訪ねる。まずは桑名宿〜関宿の旧東海道沿線へ餅を食べに行ってみよう。