餅街道 ① 三重県、餅街道を江戸時代以前創業の店を訪ねる。まずは桑名宿〜関宿の旧東海道沿線へ餅を食べに行ってみよう。
三重県、餅街道を江戸時代以前創業の店に限定して探索。
第一弾として、旧東海道沿いの桑名宿・四日市宿・関宿を訪ねてみる。
はじめに
桑名から旧東海道を京都方面へ歩いていると、桑名の安永餅・四日市のなが餅・関宿の関の戸や志ら玉、伊勢方面に目を向けると立石餅・福徳餅・へんば餅・赤福…と餅を用いたお土産が多いことに気づいた。
餅米がたくさん収穫できたのか。何らかの理由から餅を食す風習が古来からあったのか、なんて色々想像しながら歩いた。
家に戻ってインターネッツで調べてみると、当たり前に伊勢 餅街道だとか、三重県の名物 餅特集だとかが出てくる。
どうやら伊勢参りが関係しているようだ。
餅街道。三重県の東海道沿線・伊勢街道沿線をそう呼ぶのを初めて知ったが、世の中では割と知られているようだ。
何歳になっても知らない事だらけだ。旅に出るとホントに思い知らされるし、新たな発見が楽しい。
各々お店の細かい紹介や蘊蓄は参考URLや他の方の情報に頼るとして、餅街道にはお店もたくさんある。江戸時代の東海道沿線を細切れに徒歩の旅をしている関係から、江戸時代以前創業に絞って当時の旅人が食べていただろうと思われるものを食べ歩き、まとめていこう思う。
食べ歩いたら更新するスタイルでいきます。なので、この記事はしばらく(かなりの期間?)未完成の状態です。←2023年5月4日に関宿を訪問し関の戸と志ら玉の記事を追記(2023年5月7日)
参考URL
まずは旧東海道沿線から
東海道、桑名宿から宮宿へ、七里の渡し、年数回しかない渡し船が出る貴重な日。出港時刻は午後1時だが、朝9時に桑名入り。
桑名に到着してまずは名物安永餅をいただきに、安永餅本舗柏屋と永餅屋老舗へ向かった。
桑名 安永餅
安永餅本舗柏屋
桑名市中央町1丁目74
創業時期詳細不明 江戸時代中・後期
2022年11月19日(土)朝9時30分過ぎぐらいに訪問。バラ売あり。
袋入り97円、袋なし86円。
車に戻ったらすぐ食べたかったので、袋なしを注文したら、
焼きたての温かいのがあるけど、食べる?と。
せっかくなので温かいのを頂いた。
うまい。うまいよ。お土産でもらって賞味期限ギリギリで食べるやつとは当然別世界。
永餅屋老舗
桑名市有楽町35
寛永11年創業 第3代将軍家光の治世。出島の建設開始。前年にイタリアではガリレオの宗教裁判が開かれている。そんな時代に創業。
柏屋の次に訪問、こちらも袋に包まれたもののみだがバラ売あり。
110円。
ビニール袋に入れる関係もあるのでしょう。温かくはなく常温。
それでもおそらく朝イチの購入なので餅は柔らかく美味しい。
柏屋さんと永餅屋本舗さん、食感やあんこの味や焼き色の付け方と、ちょっとづつ違う。
どっちがどっちと優劣はつけられない。
ましてや柏屋さんで常温のビニールに包まれたものを食べていないので比べることができないし、そもそも優劣をつけるために書いているわけじゃない。
四日市 なが餅
なが餅笹井屋
四日市市北町5-13
天文19年創業 約470年経つ超老舗。
天文12年に種子島に鉄砲が伝来し、18年にザビエルが鹿児島に上陸、天文22年には第一次川中島の合戦が起こった、そんな時代の創業。
2022年11月6日(日)、朝9時。東海道ウォーキングの最中に本店で購入。
バラ売りはないので、一番小さな7本入りを購入。
購入時は1日中歩くからお土産で持って帰るわけに行かないし、7本全部食べきれないよと思ったが…これが後々、体力回復に役に立った。
東海道と伊勢街道の分岐点、笹井屋からおよそ5キロメートル、日永の追分で休憩。まだまだ体力的にはなんともないがおやつ代わりに1枚。
このあと、内部駅前、杖衝坂、国道沿い、石薬師宿、加佐登駅と距離を重ねるごとにハンガーノック寸前に、力が出なくなったら一枚づつ栄養補給。助かった。
桑名の安永餅と比べて、少し横幅が広く、少し長さが短いように感じるが、横に同時に置いてみたわけでも、スケールで測った訳でもなく、食べた本人のなんとなくの感覚です。
関宿 関の戸
深川屋 陸奥大掾
亀山市関町中町387
寛永年間創業 約370年。第3代将軍徳川家光の治世から続く老舗。
寛永年間でよく知られている出来事は島原の乱と寛永の飢饉かな。
こし餡を求肥で包み和三盆がまぶしてあるって、言葉で聞くだけだと、甘々でくどそうだけども、印象深く定期的に食べたくなる味だという現代の評判と、江戸時代、諸大名の間で評判で、京都御所の皇室の方々にも献上されていたと聞くと、甘いだけの食べ物ではないだろうなと想像。東海道ウォーキングの途中、関宿の本店で購入して食べたいので、訪問は来年の暖かくなってからになりそうかな。
2023年5月4日、関宿訪問。関宿は江戸時代の宿場町の雰囲気を色濃く残しており、タイムスリップしてお伊勢参りの途中ですが食べてますって感じで、現地で食べたかったが、1個単位の販売はしておらず箱で購入し、あとで宿に戻ってから食べることにした。
予想では甘さが売りの甘ーい和菓子戸思っていたので、口に入れた瞬間戸惑ってしまった。
あまり甘く(甘ったるく)ないのだ。
お茶を飲みながらゆったりとした上質な時間を過ごすにはちょうど良い甘さ、お土産としてハッキリした味が好みの方、または味の濃いものが好きな方には、少しぼんやりした感じでパッとこないかもしれない。
大きさも小振りでちょうど良い。
関宿 志ら玉
前田屋製菓
亀山市関町中町407
あるサイトでは前田屋製菓店の創業自体は江戸時代以前ではなく、文久年間に白玉屋の初代が考案したもの。戦後白玉屋が廃業し、昭和58年に前田屋製菓に引き継がれたとある。
別のサイトでは三宅菓子匠というお店が作った白玉を元に、現在前田屋製菓店が創意工夫を重ね、「志ら玉」として製造販売しているともある。
白玉屋=三宅菓子匠であれば、両方の話がスッと腹に落ちてくるだが…
お店のHPにはそのあたりの記述はなく真偽は不明だ。
お店自体は江戸時代以前の創業ではないが、受け継がれた白玉は江戸時代の考案ということで、記事に入れることにした。
文久年間の創業または考案とすると、だいたい160年程度経っていることになる。
文久年間というと幕末、たった三年間だがよく知る出来事が目白押しだ。
文久元年、武市半平太ら土佐勤皇党を結成など。
文久2年、坂下門外の変、吉田東洋暗殺、生麦事件、高杉晋作らイギリス公使館に放火など。
文久3年、長崎にグラバー邸完成、薩英戦争、高杉晋作奇兵隊結成、清河八郎・芹沢鴨ら暗殺、新撰組などなど。
そんな時代、市井の人々はどんな気持ちで、どんな暮らしを送っていたのだろう。なんて思いながら志ら玉を食べようと思う。
と食べるまえに書いたにも関わらず…
文久年間の出来事など完全に忘れ、志ら玉を見かけたら食べることしか考えられなかった。
餡は砂糖と大豆、皮は上新粉と白玉粉。
すぐに固くなるらしく。真空パックにすることで5日間ほど日持ちするようになったそうです。
お店で1個単位で販売していたので、店先で立ち食い。
こしあんの甘さが絶妙にちょうどいい。皮と餡のバランスがよく、柔らかい。
そう、柔らかいんです。甘さも食感も柔らかい。
旨い。
そのあと帰宅してから真空パックされたお土産用を2日目にいただいた。
初日に食べた食感と全く変わらず美味しくいただきました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?