
Photo by
tanakamedialab
コンプレックス
物事を始めるときはたいてい楽しいものである。振り返ってみれば、趣味で始めた習い事なんて楽しそうの先入観から最初は夢中になったものだ。
しかしながら、物事を続けている過程で、それに対して嫌悪感を覚え始める瞬間というものが必ずあるように感じてならない。
スポーツだって勉強だって恋愛だって容姿磨きだってそうだろう。
人間というものは恐らく、自分が取り掛かった物事に対してその天井や極地を認知し、自分の相対的な立ち位置を把握してしまった瞬間にひどく絶望してしまう生き物だと思う。
その瞬間に発生する感情こそがコンプレックスだ。コンプレックスはジェラシーであり、憎しみであり、自己嫌悪でもある。あらゆる負の感情の終着点こそがコンプレックスだ。
一方でコンプレックスとの向き合い方次第では、人間は大きく成長できると私は希望的観測をしている。
確かにコンプレックスは負の感情だ。しかし、この負の感情こそが物事への原動力となることはきっとある。
この負の感情から湧き上がる心の底からの抵抗こそが、自分をさらに高い位置に導いてくれるに違いない。
しかしながら悲しいもので、抵抗すれどまた新たな壁に打ちのめされ、さらに深く絶望するのが人間である。
1番にならない限りこのコンプレックスのループから抜け出せず、おそらく多くの人間は1番になることなく、その物事に半永久的に向き合わねばならない。
結局人間はコンプレックスの奴隷と葛藤の中で生き抜いていかなくてはならないのだろう。