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僕のカウンセラーアカデミア〜あの時に欲しかった言葉〜

こんにちは!
心理カウンセラーの俊(しゅん)です。

最近立て続けに色々な人に薦められて、今更『僕のヒーローアカデミア』のアニメを観始めました。(もう原作漫画も最終回を迎えたと聴くのに…笑)

もともと予感はあったんです。絶対好きだろうなって。
でも観始めてしまったら一気見してしまう&「ながら見」ができないという性格上、視聴にはある意味で気力と体力と時間を使うので、様々な事柄に追われている日々になかなか重い腰を上げられませんでした。
今回、少し一息つけるタイミングがあり、Netflixで視聴を開始したのですが。

もう序盤から、涙、涙、涙…😂

ヒーローへの憧れは、幼少期から僕の胸の内にもありました。女子にもあると思うけれど、相対的には男子の方がやっぱり多いのかな?
僕がプロレスを好きなのも、その影響があると思います。

僕は心理カウンセラー根本裕幸さんのお弟子9期生として半年間の講座を受けていたのですが、その講座の同期たちと、ヒロアカの主人公やクラスメイトたちが重なって見えてしまいました。
そう、お弟子講座は僕のカウンセラーアカデミアだったんだな、って。

そして、ふと浮かんだ「学校」にまつわるエピソードを踏まえ、お弟子講座を振り返ってみたいと思います。

過去を癒すイメージワーク

皆さんは、過去に欲しかった言葉って、どんなものがありますか?
そして、それは誰から言って欲しかったでしょうか。

お弟子講座の中では、様々なイメージワークについても学びます。
クライアントさんに目を閉じてリラックスしてもらい、カウンセラーの言葉と共にご本人のイメージの力を借りて、潜在意識に直接働きかけるワークで、よくカウンセリングにも取り入れられています。
多くが感情解放を伴うため、様々な気持ちが動いて涙する人も居るのですが、かく言う僕も超弱いです。めちゃめちゃ食らいます…笑
あまりに「効く」ので、泣く恥ずかしさと消耗することによる疲れも合間って、イメージワークの実習時は気が重かったなぁ。。😅

本来イメージワークはクライアントさんによって効果が左右されるので、一律的な結果を望めるものではないのですが、僕は学生の頃から似たような演劇のワークショップも体験していて「感情スイッチ」が動きやすいのかもしれません。

さて、そのイメージワークには様々な種類があります。
講座中、主に幼少期の自分と対話する
「インナーチャイルドワーク」
というメニューを学ぶなかで、その応用として幼少期に留まらず過去の様々な時点での自分を癒す、というワークの実習がありました。
トラウマセラピーという呼び方もあるようです。
過去に「傷」となった出来事のタイミングに、現在の自分が訪れることで、その時の自分に言葉をかけて抱きしめてあげるなどして、寄り添うイメージワークです。

僕がクライアント役になった際、どの時期の、何のタイミングに戻るか考えた結果、思春期まっただなかの15歳の時に戻ることにしました。
少し長い話になります。

中学生の頃の「あの日」

それは中学3年生の春。
場所は校庭のグラウンド。
体育の授業にて、約1ヶ月後に迫った体育祭の競技練習を行なっていました。
確か、綱引きだったと思います。

屈折を抱えた10代の中盤でも、体育祭ともなれば他クラスとの対抗意識に燃えるもの。
隣のクラスとの模擬戦を重ねることで体育の授業は終了となり、勝ち負けを繰り返して高揚したクラスメイトたちは思い思いに、模擬戦の感想や自分たちの課題などを口にしながら、グラウンドから校舎へ引き上げ始めていました。
そこで、ある同級生が、手を振り上げて声をあげます。ここではAと呼びます。

「夜に学校忍び込んで練習しようぜ。全員集合な」

校舎や大綱を保管してる倉庫も夜には施錠されるんだから、そんなこと出来る訳ないだろ…と思いながら、僕は聞こえなかったフリをして歩いていました。
彼がテンション上がって突飛なことを言うのは、珍しいことではなかったからです。
ただ、それに応答した同級生がいました。ここでは彼をBと呼びます。

「え〜、でもそんなことしたら怒られるんじゃないかなぁ」

ややおどけるようにそう言ったBの声を聞いて、僕はちょっと面くらいました。普段口数も少なくおとなしい性格の彼が、わざわざ問題行動の多いAに絡みに行くのも珍しいことでしたし、ツッコミというより単に茶々を入れる格好になったからです。Bも、模擬戦後の興奮で気が大きくなっていたのかもしれません。案の定、Aの気に触ったらしく、彼はBに詰め寄りました。

「あ?体育祭勝つ気ねぇならお前もう学校来んなよ」

接吻でもするのかという距離で顔を詰めるA。
完全に意気消沈して何も言い出せなくなるB。

アドレナリンが出て興奮していたせいか、Aはそれだけで止まらず、Bのジャージの首元を掴むと、細くなった目で小さく何か呟き出しました。絶対に平和的な台詞は言っていないことは分かります。

他の同級生は彼ら2人を避けながら校舎へ戻っていきます。
誰も止めません。
こうなってしまった時のAは、周囲から腫れ物のように扱われていました。

Aと僕は1年生の頃から同じクラスでした。
もともと彼は学級委員もやるような目立ちたがり屋だったのに、学年が上がるにつれて授業態度も悪くなり、部活も辞め、教師に反抗して暴れることも増えていきました。格闘技の経験があり、弱気な同級生の肩を「同意のもとで」サンドバック代わりによく殴っていたと聞きます。
「肩パン」という思春期男子特有の謎プレイにカムフラージュされていましたが、力が対等でなければ単なる暴行。
10代のままならない感情を暴力でしか発露できない少年は、平成の公立中学にはまだ沢山いました。(令和はどうなんだろうなあ)
とはいえ、今回は大したきっかけじゃないし、適当なところでAも切り上げるだろうと周囲も思っていたのだと思います。
ところが、Aはドスっと音を立てて、Bの腹を殴り始めました。
一発、二発。Bは声もあげられません。

「もういいだろ、やめろよ」

僕は、2人の間に割り込んでAに声をかけていました。
格好良く言えば”身体が勝手に動いていた”ということになるのですが、本当のところはもっと個人的な、何らかの義務感、反射的な強迫観念にせき立てられての行動でした。心音が早まります。

「なんだよ、お前は関係ねぇだろ」

水を差されたAは強烈な苛立ちを抱えていました。
狂気の目に気圧されながらも、ここまできたら引き返せません。

「いいからやめろって。校舎戻るぞ」

「うるせえ、お前は何様なんだよ、ああ?」

精一杯の虚勢も効果なく、話が通じないことへの恐怖と絶望を隠すように、僕は宙を仰いで嘆息しました。
目を逸らしたのは怖かったからですが、それがかえって相手を馬鹿にした態度に見えたらしく、彼の逆鱗に触れたようです。

Aから思いっきり左頬を殴られました。


僕の眼鏡がどこかに吹っ飛びます。

一瞬、何が起きたのか分かりませんでした。
あ、殴られたのか、と思った瞬間には、もっと驚くことが起きていました。

僕も、彼に拳を返していたのです。

これが、僕が人生で唯一
"人を殴った”
瞬間でした。
(暴力は絶対に駄目ですよ)

人間も動物なんだなと思います。防衛反応というのがあるのでしょうか。
全く無意識でした。
その証拠に、利き腕でもない左手で、相手の顎をこすった程度。
威力なんてありません。
前言撤回します。

これが、僕が人生で唯一
"人の顎をこすった”
瞬間でした。
(なんだよそれ)

我ながら情けない顛末で、Aを止めるどころか、逆に彼をヒートアップさせただけでした。

そこから先は、あまり覚えていません。
色々なところを殴られ、蹴られ、ガシャンと音を立てて校舎扉のガラスが割れたようでした。女子の叫び声と、流石に周囲の男子が止めに入った声だけは聞こえました。

記憶がはっきりしてくるのは、職員室で、何脚も繋げた椅子の上に寝かされているところからです。

ぼーっと天井を眺めながら、左側の歯茎の感覚が無いことに気付きました。

思考があちこちに飛んで収束しません。
あれ、授業サボってるのか今。ああでも体育の後って給食だっけ?
ていうか眼鏡のフレーム曲がってんじゃん最悪。
痛い。
なんでこんなことになったんだよ。

ガララと音を立てて、職員室のドアが空き、学年主任の教師がAを連れて入ってきました。

僕とAを引き合わせて、何か言っていましたが、
”ああ、先生は2人を「仲直り」させたいんだな”
と思った僕は、

「悪かった」

とAに謝っていました。
何に謝っているのか?そんなことは考えていませんでした。
ただそれがこの場で一番「効く」言葉だと、無意識に選択していたのだと思います。自分の感情を無視した合理的な選択。
本当に、呆れるほどに大人に都合のいい「良い子」だなと思います。
事前に教師たちに絞られ、幾分と頭も冷えていたAは、先に僕から謝罪され一瞬面くらっていましたが、小さな声で詫びてきました。

それから僕は、保健教諭の同席のもと、学校近くの歯科クリニックを受診しに行きました。不幸中の幸いで、歯茎の麻痺は一時的とのこと。
並行して両親へも電話が入り、その日は早退。

父が仕事を切り上げて、自宅に帰ってきていました。

その時の父の様子も、よく覚えています。

優等生で反抗期もない息子が起こした「友達と喧嘩して早退してくる」という希少イベントに、どこか父は嬉しそうな雰囲気さえありました。

Aの両親からの謝罪の電話に対して、

「いえいえ、まあ子ども同士のすることですから」

と答える父の言葉に、どこか釈然としないものを感じていたのは事実です。

父さん、でもおれ、喧嘩がしたかったんじゃないよ。

父は給食を食べ損ねた僕のために、きのことソーセージのペペロンチーノを作ってくれました。
黙ってフォークに巻き付いたスパゲティを口に運びながら、特に事情を聞き出す訳でもない「思春期息子に理解のある親父ムーブ」をかましている父に、苦笑いと共にため息をつくような感覚でした。父の作るペペロンチーノが美味しかったのが唯一の救いです。

なんでこんなことになったんだろう。
そう後悔することが、辛さを増していく。
嫌な思いと怖い思いをして、怪我もして、不本意な和解をして、早退して。
やめときゃよかったかな。

そう言えば、早退する途中、Bが駆け寄ってきて、
「俊くん(実際には苗字)、ありがとう」
とお礼を言われたけれど、なぜか特に嬉しくはありませんでした。
「うん」とか、何か適当な言葉しか返せなかった気がします。

教師に心配されたり、
Aから詫びられたり、
Bに礼を言われたりしても、
僕が無意識に求めていた言葉は、
どこにも無かったんです。

その言葉を、イメージワークのなかで、ついに見つけることができました。

イメージワークで過去の自分にかけた言葉

実習で、カウンセラー役の同期に促されながら、「あの日」の自分に会いに行きました。

そこには、職員室で下を向く中学生の少年がいました。

膝をつき、少年の目線に高さを合わせます。
彼にどんな声をかけてあげたいですか、というカウンセラーの言葉に、僕は自然と口を開いていました。


$${\LARGE\bold{\text{君は正しいことをしたよ}}}$$


ドッと涙が溢れ出します。

後悔していたこと、自分の行動を責めていたこと自体が、辛かったのです。

実際は、物事に正誤は必ずしもありません。

でも、中学生の頃の僕の、ある種の「信念」に基づいて取ったあの行動は、少なくとも自分の矜持にとっては正しいことだったと、後悔するようなことではないと、言って欲しかったのです。

他にもかけてあげたい言葉はありますか、というカウンセラーの促しによって、僕はこう続けていました。


$${\LARGE\bold{\text{君を誇りに思うよ}}}$$


声が震えて、うまく言えません。

目の前で暴力が誰かに向けられているなら、その誰かを助ける自分であってほしい。

君のしたことは間違ってない。
だから後悔しないでほしい。

そう言って、目の前でボタボタと涙を落とす中学生の自分を抱きしめて、僕のイメージワークは終わりました。

緑谷出久少年が母にかけて欲しかった言葉

少しだけ『僕のヒーローアカデミア』に触れます。
※HPに公開されている設定〜超初期1話目のレベルしか触れませんが、ネタバレが嫌な人はこのセクション丸々読み飛ばしてね🙇‍♂️


この作品の世界では、8割以上の人間が何らかの超能力(作中では「個性」と呼ばれている)を持って生まれてきます。
そして、その個性のチカラによって事件や事故、災害から人々を救ったり、悪い奴らと闘う「ヒーロー」たちが活躍しているという設定があります。
しかし主人公の緑谷出久(みどりやいずく)は、全く「個性」がありませんでした。
ヒーローになることを夢見ていた彼は、4歳のとき、医師から個性の発現を
諦めた方がいいね
と言われてしまいます。

あまりにショックを受けた彼は、その晩に憧れていたヒーローの動画を何度も何度も観ながら、母親に
超かっこいいヒーローさ。ぼくも、なれるかなぁ
と涙ながらにと問います。

その質問に母親は応えられず、
「ごめんね出久! ごめんね ごめんね…」
と泣きながら謝り、彼を抱きしめるのでした。
母親もまた、個性を持つ身体に産めなかった自分を責めていたのです。

ただ、緑谷少年が欲しかったのは、謝罪の言葉ではありませんでした。
本当に求めていたのは、

君はヒーローになれる

という、希望の道筋となる言葉だったのです。

そしてその言葉は、全く別の局面で、別の人物から、かけられることになります。
それは本当に素晴らしいシーンで、僕は涙腺決壊しました。。笑

まさに、インナーチャイルドを癒すこと、そのものの描写になっているなぁと思いました。

アニメを通して心理学を学ぶって、結構有用です。


過去の自分を、今の自分が助けにいく

お弟子講座のなかで、自分の価値観や癖に直結しやすいものは、両親や兄弟姉妹との関係のほかに、思春期に起こった出来事があると学びました。

確かに僕らは多感な時期に、たくさん傷付きます。
でも、傷付くのは思春期の時期だけではありません。

大人になってからだって、辛いことは沢山起こります。

中にはトラウマとなって、長く苦しみが続くこともあるでしょう。

それは顕在にしろ潜在にしろ、自分の中で何度も何度も繰り返されている傷かもしれません。

そういう意味では、現実世界では時間が経っていても、未だに僕らの心のなかでは「現在進行形」の問題なのです。

独りぼっちのまま、止まった時のなかで佇む自分に、会いに行く。


カウンセリングやイメージワークを促してくれるのはカウンセラーですが、助けてくれるのは、他ならぬ自分です。

過去のあなたが助けを求めているなら、一緒に助けにいきましょう。

あなた自身が、あなたのヒーローになるんです。 

そのお手伝いを、僕らカウンセラーにさせてください。

大丈夫。
あなたはきっと、あなたを救える。


長文のなか、
最後までお読みいただきありがとうございました。


それではまた、別の記事で。


心理カウンセラー 俊(しゅん)

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