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何もしない才能

こんにちは、心理カウンセラー修行中の俊(しゅん)です。

さて、いよいよ三連休の最終日。
皆さんいかがお過ごしだったでしょうか。

僕にとっては、遅めの夏休みの最終日となりました。
土日と有休も繋げて10連休という稀に見る大型休暇を取得したものの…
色々な不調が重なり、旅行やイベントの予定を取りやめた、という
お話を前回の記事に書きました。
(様々な人に読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます)

遠出はせず、2日ほど都内の好きな街でご飯を食べたりした他は、
ひたすらぼーっとするか、寝ていてました。
ときどき散歩したり、読書したり。

お陰様で、どうにかこうにか、調子も少しずつ浮上してきて、
後半は戦意を喪失していた心理学講座の課題をやったりしてました。
(むしろ旅行してたら課題終わらなかったかも…)

そうそう、大相撲の9月場所が開催されていたので、
それが毎日の楽しみでした。今場所も面白かったぁ。
相撲についても、いつかブログで触れたいなと思います。

さて、今日は、「何もしない」って出来ていますか?というテーマで
記事を書いてみたいと思います。

何かしなければ、という強迫観念

思えば身体を壊して休職する寸前は、
ひたすらに切羽詰まっていました。

家の中ではパートナーシップの課題が続き、
仕事では山のように積み上がるタスクの処理と
デスマーチ鳴り響くプロジェクトの進行、
コロナ禍の影響で衛生面に神経質になり、
人と会うのが怖くなった時期でもありました。

毎日毎日、あれをやってこれをやって…と
追われていて、何も考えていない時間はただただ
気絶するように寝ている時間、という状況でした。

ただ、それは仕事だけではなく、休日も同じだったように思います。

何もせず家に居るだけでは気分が塞ぎ込んで、どこかへ出かけないと
勿体ないような気がしてしまい、疲れているのに外出したりしてました。

あの時は、本当に様子がおかしかったのだと思います。

自分にはニートの素質があるかも?

前の記事で書いたように、僕は心身の調子を崩して倒れてしまいます。
長い間、なかなか上向かなかったものの、一定期間を過ぎたあたりから、
少しずつ動けるようになってきました。

まだまだ万全ではなかったけれど、ベッドの上で寝ているにも限界があります。

その時唯一していたのは、散歩でした。

療養中によく散歩した公園

毎日、とにかく朝日だけは浴びるようにしていました。
ただ、朝はそれだけで精一杯。
具合が良くない日はそのまま二度寝もしていました。

午後3時頃になってから、家を出てゆっくりと歩き始めます。
最終目的地は家から20分ほど歩いたところにある公園。
そこで芝生や木々を眺めたり、ぼーっと空を見ていました。

初めは散歩中も気分が悪くなったり不安になったりしていましたが、
日々少しずつ少しずつ回復していきます。

すると、だんだんと公園の中の変化に気付いてきます。

短かった芝生が伸びてきて風に揺られるようになり、
木の葉の色がだんだん変わっていきます。
真っ赤になった紅葉は本当に綺麗でしたが、その過程を
毎日見るなんて初めてのことでしたので、とても新鮮でした。

夕日に映える紅葉

空気が冷たくなってきてウインドブレイカーを羽織りだし、
さらに寒くなってコートを着るようになると、葉っぱが散っていきます。
毎日のように落ち葉が増え、公園の中もシンと静まり返るようでした。

それでも毎日散歩を続けていると、徐々にコートでは暑く感じるようになり、桜の蕾を目にするようになります。

暖かい日がやってくると一気に開花。
数日咲いていたかと思うと、ぱらぱらと散っていきます。
道がピンク色の絨毯のように彩られていく様子は、歩いていて晴れやかな
気持ちになりました。

桜並木の道

僕はただただ、毎日歩いていただけです。

本当に、他には何もしていませんでしたし、そもそもできませんでした。

休職前では考えられないような落差です。

ただ、いつの間にか僕は、その散歩が「生き甲斐」と呼べるほどに
楽しみになっていました。

どんなに鬱々とした朝を迎えたり、パニック発作が起きた夜に苦しんでも、
午後3時に散歩に行くことはできる。

それだけを頼りに、生きていました。

療養生活が1年を過ぎたあたりで、主治医が薬の種類を減らしてくれるようになりました。
「急に活動しないでくださいね」という条件付きで。
引っ越しや、様々な書類関連の手続きが棚上げ状態になっていましたが、
腹を括って手を付けずにいました。

「何もしない」が大事なフェースなんだ、と思うようになったからです。

調子を崩して休職している人の多くは、

・社会とのつながりが切れたように感じる
・家族からの目に申し訳なさと恥ずかしさを感じる
・何かしなければ自分は価値がないと思ってしまう

などで焦り、治っていないにも関わらず復職してしまうようです。
しかし当然負荷がかかるため、再度の休職になってしまうことも
珍しくありません。

その気持ちも、勿論分かります。

ただ、僕は段々と焦らないようになりました。

調子が悪いのも動けないのも仕方がない。
今はただ、そのまま毎日を過ごすだけ。
働いてもいないし勉強もしていない。

徐々に、社会復帰を望む気持ちがどんどん薄れていき、

「あれ、もしかして自分はニートの才能があるのか」

と思うようにすらなりました。
(これはこれで大丈夫か自分?と思いましたが…笑)

結局はバランスが大事

休養期間を終えて、恐々仕事に復帰してからは、思ったよりも
大きな支障なくその生活に慣れることができました。

むしろ、仕事という「やること」がある状態が新鮮に感じて、
結構面白いじゃん、とすら思いました。

やっぱり、
・何か頭や手を動かすこと
・何もせずゆっくり休むこと
はどちらも必要なんです。
当たり前のこと言ってますね笑

でも、その当たり前がとても難しい。


喉元過ぎれば熱さを忘れる、と言いますが、今月の不調をきっかけに、
その当たり前を改めて思い出しました。


今日は東京も気温がグッと下がり、
ようやく秋の入り口に来たような感じです。

季節の変わり目は体調管理も難しくなるので、
皆さんもお気をつけくださいね。


今回もお読みいただきありがとうございました。

それでは、また別の記事で。


心理カウンセラー 俊(しゅん)

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