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カシューナッツ

 誰もいないダイニングルームの4人用テーブルにはカルディで買ったカベルネ・ソーヴィニヨンの赤ワインとワイングラス、無塩カシューナッツを入れた黒い角皿だけがポツンと乗っている。まるで太平洋の中にポツンと点在する小島のようだ。私は家族のいなくなった家の中で赤ワインを1時間ほど飲み続けている。すでに3杯目を飲みきりそうなところだ。4杯目を注ぐ頃には現実の痛みが薄れて少しはましな気分になるだろう。

 妻と二人の娘が家を出ていったのはおよそ3時間前。私は社労士事務所に真面目に勤め、家族が生活するのに十分なお金を稼ぎ、都内のマンションでささやかに慎ましく、幸せに生活してきたつもりだった。家族サービスのない休みの日には朝から一人で競馬場に行き、少ない小遣いでビールを飲みながら競馬を楽しんだ。

(いったい何が原因だったのだろう)
(他に男でも出来たのか?)

 それは議論というより、一方的な通告のようなものだった。二人の娘が寝室でゲームに夢中になると、ダイニングテーブルに対面した妻は私に対する不満を(おそらく事前によく考えて整理したのだろう)理路整然と、まるで優秀な社員がプレゼンを発表するように話した。話しながら、時々見せる嫌悪の表情は、彼女の嘘偽りない気持ちを表現するのに十分な説得力があった。妻の離婚プレゼンは、まるで頭を鈍器で殴り続けるように、確実に私の思考能力を奪っていった。

 妻は憎しみの表情を込めて最後に言った。
 「あなた、自分の娘がナッツアレルギーなのすら知らないでしょ。結局そういうところなんだよ。」
 ナイフで心臓を突き刺されたような感覚を感じながら、何とか言葉を絞り出す。
 「ごめん。僕は結婚に向いてないんだろうね。」
 これが最後の会話だった。家族が出ていくと、どうしようもない気持ちになり、私は静まり返った部屋で赤ワインを開けた。

 4杯目の赤ワインを注ぐ。現実の感覚が少しづつ鈍くなり、数時間前の苦い記憶が薄れていく。カシューナッツを口に入れると、バターのような甘い香りと香ばしさが広がった。それからまた赤ワインを飲む。赤ワインにはカシューナッツが最高の組み合わせだ。

(この時間が永遠に続けばいい)

 しかしカシューナッツの残りはあと数粒しかなかった。私は残り数粒のカシューナッツが赤ワインを飲みきる時と同じタイミングになるように調節することを真剣に考えた。最後のカシューナッツを口に入れて赤ワインで流し込むという理想的な結末にしたい。

 明日の関東地方は快晴。日本ダービーだ。晴れた日の競馬場で最高のレースを見る自分を想像すると、幸せな気分になった。もう家にお金を入れる必要もないので貯金を全て下ろして、人生最大の大勝負をしよう。きっと最高の時間を味わえるはずだ。もし勝った時は、家を売って、仕事を辞めて田舎に戻るのも悪くない。負けた時は・・・その時考えればいい。

 私はカシューナッツの最後の一粒を口に入れてから、赤ワインの最後の一口を飲んだ。「私が考える最高のマリアージュ」を絶妙なタイミングで味わうことができたことに、私は納得して頷いた。 

#ほろ酔い文学

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