読書レビュー 1-1: 世界「倒産」図鑑 波乱万丈25社でわかる失敗の理由
いつもご覧いただきありがとうございます!
通信キャリアでインサイドセールスをしているしゅんです。
今回は失敗から学ぶ「失敗学」についてご紹介します。
私たちは人生で数多くの失敗をして、多くのことを学べます。
しかし、できることなら無駄な失敗はしたくないですよね?
そのためにも、過去に誰かがした失敗について学ぶ必要があります。
学習することで「避けられる失敗」があるのです。
歴史から学べることはたくさんありますね。
今回は失敗から学ぶ「失敗学」について、書籍の内容と私の所感をあわせてご紹介します!
なお、こちらは2部作の1記事目となります。
失敗学とは?
失敗学とは以下の通り、失敗した原因を解明し未来に生かす学問です。
近代の人類は、自動車・飛行機事故や医療過誤、バブル崩壊などのあらゆる失敗を経験してきました。
自動車業界や航空業界は過去の失敗から学び改善し続け、事故率はとても低くなりました。
ところが「歴史はくり返す」とはよくいうもので、
経済・金融、とくに企業の倒産や市場の混乱に関しては同じような失敗を繰り返していると私は感じます。
そこで今回は、世界「倒産」図鑑という本の中から3つだけ企業の失敗例を取り上げ、失敗から学べることや私たちも教訓にできることを紹介します。
1. ベアリングス銀行
〜極端な集中投資と問題の先送りで破産〜
ベアリングス銀行は1995年に経営破綻したイギリスの投資銀行です。
以前は「女王陛下の銀行」と呼ばれるほどの名門銀行でした。
なぜイギリスの名門銀行は経営破綻したのでしょうか?
ベアリングス銀行の最盛期(1800年代)
ベアリングス銀行は、1762年にフランシス・ベアリングが手形引受を商人に提供し始めたことから始まります。
めきめきと頭角を現し、1800年代初頭にはヨーロッパ1の金融機関に成長します。
アメリカ独立の際にファイナンスを担当したり、フランス革命・ナポレオン戦争時の公債の最大引受人としてなったりします。
歴史上の重大な出来事の裏で暗躍していたのですね。
1800年代末にはアルゼンチンでの革命と利払い不能があり経営危機になりますが、他社からの救済に助けられたこと、日本を含め世界各国でビジネスを拡大させたことで1900年代前半には盛り返します。
金融の中心都市としての役割を失うイギリス
イギリスのロンドン(シティ)は長らく「国際金融センター」として金融市場の中心的な役割を担ってきました。
しかし第二次世界大戦後、金融の分野では米国や欧州大陸勢、さらには日本の台頭もあって、イギリスの国際的な存在感が低下して行きました。金融市場の中心はアメリカのウォール街へと移っていたのです。
イギリスの国際的な存在感の低下、イギリス経済の停滞から脱するべく、時の首相である「鉄の女」ことサッチャーは規制緩和を急いでいました。
そのため1986年には「ビッグ・バン」と呼ばれる金融証券分野の大規模な規制緩和が実施され、外資系金融機関が続々と参入。シティは活況を取り戻しますが、以前の規制に守られていたイギリスの金融機関(特にベアリングス銀行)は苦境に立たされたのです。
苦境に立たされたベアリングス銀行が選んだ道は…
苦境に立たされたベアリングス銀行は、当時経済成長著しいアジア市場におけるトレーディング業務に活路を見出しました。
日本市場で利益をあげていたトレーダーのクリストファー・ヒース率いる15人ほどのメンバーを新たに設立したベアリングス証券に招き入れ、起死回生を図ったのです。
しかし、この決断がベアリングス銀行を経営破綻に追いやったのです…
日本のバブルと共に踊り、バブル崩壊で危機を迎える
1986年から1991年にかけて日本はバブル景気で絶好調。この間、日経平均株価は約3倍になりました。
ベアリングス証券も日本のバブル景気に乗り、トレーディング業務で荒稼ぎをします。一時期はグループ全体の半分以上の利益を叩き出しました。
この稼ぎ方にベアリングス銀行は浮かれてしまいました。どんどんいけいけと言わんばかりに、アジアのトレーディング業務に注力して行きます。
しかし1991年、ご存知の通りバブル景気は崩壊します。
ベアリングス銀行ももちろん巨額の損失を抱えてしまいます。
偽りの評価に浮き足立ったトレーダーの末路
バブル崩壊で大損失を被ったのち、1992年に「ニック・リーソン」という人物がシンガポールで先物取引部門の事務方の責任者になります。
リーソンはある時、裁定取引でシステム上の抜け穴を発見します。
「エラーアカウント」という架空の取引口座に損失を押しやってしまえば、表面上は損失を隠しつつ、利益だけを見せることができたのです。
このやり口を使い、1994年にはシンガポール取引所においてトレーダー・オブ・ザ・イヤーを受賞。評価が高まったリーソンはさらにエスカレート。エラーアカウントで抱えていた巨額の損失の穴埋めのため、極めてギャンブル性の高い取引手法にのめり込んでしまいます。
しかし1995年1月に阪神・淡路大震災が発生し、東京証券取引所が大暴落します。1日で80億円もの損失を出したリーソンは、損失を取り返すために賭けに出ますが賭けも失敗して、さらに損失を膨らませてしまいます。
最終的な損失額は約1,380億円だと分かり、自己資本金額(4.7億ポンド)を上回っていたため、ベアリングス銀行は突然の経営破綻となりました。
次回に続く…
長くなってしまったので、次回の記事に続きます。
次回は日本の企業を2社ご紹介します。
お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!