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映画感想「マイ・エレメント」/火のエレメントが存在することを想定していない社会

※ネタバレしてます。ご注意ください。以下の画像以降から始まります。
※書籍『わっしょい! 妊婦』の内容にもちょこっと触れます。


選択的 This is my life!

一度乗ったら必ず満足させてくれる、それがピクサー作品という船である。今回は特に、親の期待に沿わねばと生きている人にはドンピシャにささる作品だったようにおもう。

監督のピーターソーン氏のご両親が韓国系の移民だったそうで、そのバックボーンを存分に感じられる作品だった。ある意味、"一族の成功"を夢見ての渡米は移民にとって当たり前だろうし、二世となる子どもがそれを少なからず背負って頑張ってしまう(エンバーがそう)のは、あるあるなのかも。

でもこれはきっとアメリカ移民に限った話ではなく、家業があるおうちに生まれたひともそうかもしれないし、勉強や将来を親に期待されて生きてきたひとも感じるものがあると思う。エンバーが、自分に正直になったとき、「親のための人生」ではなく「自分の人生」になる。"家族のため"という大義名分によって自分の人生や選択を犠牲にするのではなく、役割期待を放棄し、自分がやりたいことに邁進するエンバーが最高にかっこよかった。

火を水は相容れない?

男女のロマンス作品も近年すごく苦手なのだけど、「マイ・エレメント」は惹かれ合っていく過程などが自然でのめり込んで観た。

「火と水が一緒になるなんてありえない!」という価値観をエンバーたちはぶち破るわけだけど、やる前から「無理! ありえない! まずあんたら触れ合えないじゃん!」といわれていることを、触れ合ってみたら意外といけたってこと、歴史的にも結構あるんじゃないか。変化の第一歩ってそういう小さなチャレンジなんじゃないかと思い、勇気になった。手を取り合い水蒸気が発生するシーンは好き。化学反応。

火(エンバー)と水(ウェイド)が手をあわせるとどうなる?

「水害によって壊れたエレメントシティを、エンバーの芸術力で復興させてくラストなのでは…?」と勝手に想像しながら観ていたから、二人がエレメントシティを離れるラストは少し意外だった。でもこの場所を選ばない、というのがふたりの選択だったのかもしれない。

火のエレメントに適応しない社会強者向け街デザイン

作品の中であまりメインとして言及されてなかったが、エレメントシティのほとんどが、火のエレメントにとって暮らしやすいように設計されていなかったのが、怖かった。

街の中心地には火のエレメントっぽい色味も使われていないように感じる。エンバーの赤オレンジ色がこの場面写真でも目立つ。

風のエレメントたちで行うスポーツも、応援席にいる人たちの中に火のエレメントはひとりもいない。火のエレメントが安全に観戦できるようには作られていないのだ。ウェイド(水)とのデートで訪れるカフェでは、エンバー(火)はお茶を飲めない(火がカフェに来ることを想定してお茶を淹れてないため、火のエレメントが飲むと蒸発してしまう)。電車内も、火のエレメントが乗ることが想定されていないため、エンバー(火)は、木のエレメントを焦がしてしまったりする。そして、モノレールのような電車が走るときに水がザバァーっと落ちる設計、あんなの火のエレメントたちに当たったら死んじゃいますからね?!!? こういう描写ひとつひとつが、強者にとってデザインされた現代社会の風刺なのではと思ったりした。

街の中心部にあるスポーツ施設に行くときも、エンバー(火)はフードを被って身を隠す。自分の炎が周りに迷惑にならないように。

先日、東京メトロ・丸ノ内線新宿駅を降り、西口方面へ行く階段を上がろうとしていたら、見知らぬお父さんが「よっこいせ」とばかりに1歳くらいの子どもが乗ったベビーカーを担いでエッサホイサと階段を登っていた。
ん? そういえば、丸ノ内線新宿駅のホームって……あれ? エレベーターなくない……? と思ってネットで調べてみたところ、あるにはあるらしいが、東口改札側に設置されているとのこと。じゃあ西口に行きたい人でも、子連れベビーカーや車椅子、エレベーターを使いたい人は、いったん東口方面まで回れってか。ふうん、そりゃあすげぇ。

私はアメリカに住んだことはないが、きっとアジア移民がいることが想定されて作られていない街やモノ、公共施設があるのかもしれない、などと思った。たしかに居るのに、ずっと前からいるのに、まるでいないかのようにされてしまう。それはきっと、私のようなノンバイナリーな者もそうだし、トランスジェンダーだってそう。もっといえば、子ども、年寄、妊婦、障がい者、社会的弱者だといわれる者たちの、ニーズや便利姓を無視した、強者向けの街デザインなのかもしれない。駅も、公共トイレも、エレベーターも。

私の好きな書籍、『わっしょい! 妊婦』のなかで妊婦になった著者がいう、こんな一節がある。この後、妊婦の著者は、准弱者である自分を少しずつ認めていくという場面。

妊娠し体が不自由になって初めて、私は街というものが、圧倒的にマジョリティ、とりわけ「健常者の男性」という強者に合わせて設計されているということに気づいた。

『わっしょい! 妊婦』P188より引用

強い者だけのために、社会はつくられているわけではない。弱い者もいる。そして、弱い者に対し「強い者に合わせよ、強者のデザインに適応せよ」というのはあまりにも横暴だ。誰でも利用しやすい、街デザインが増えてくれればいいなと願う。

***

P.S.
本作には、ノンバイナリーのキャラクターが登場。そして、ノンバイナリーのキャラクターを、米ではノンバイナリーの声優さんが演じられてるみたい。今後の日本の吹き替えのキャスティングもそうあってほしいと思います。

吹き替えで観たのですが、玉森裕太くんがウェイドがうますぎて……ちょっと泣き虫で頼りない感じみたいなを見事に表現していてよかった。あと、吹替限定かなと思うのだけど、エンドロールで流れるSuperflyの「やさしい気持ちで」という楽曲が映画内容とマッチしていて、かなり泣ける。




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