逃げ水 #2| 洋書店
事務所が入居するビルは、間口が2間ほどで奥行方向に長い、コンクリート造の4階建てだった。
1階には海外のデザイン書を多く取り揃えた洋書店が入っている。
学生時代は洋書は梅田にある大型書店の一角に設けられたコーナーで手に入れていて、他の選択肢があるとは考えたことがなかった。
このお店はそこと比べて格段に広いとは言えなかったし、蔵書数もそんなに違いはないように見えたが、出版元の国がバラエティに富んでいて「これ誰が買うねん」と思うようなニッチなものもあったりして、本を探す楽しさが段違いだった。エッチなものが置いてあったらもっと足繁く通うだろう。
なぜ海外のデザイン関連書籍は日本のそれに比べてカッコよく見えるのだろうか。
アルファベットを使う人が多くいるから、洗練されたフォントがたくさん存在し、そのどれもが緻密に組まれているからなのか。はたまた写真と文字が美しいグリッドに沿って配置されているからなのか。
などと、さもデザイン知ってます的なことを言ってみたかっただけで、本当は、胸元にさらっと描かれた外国の文字を思考停止でかっこいいと思っている程度の解釈しか持ち合わせていない。そしてこういうTシャツに書かれた単語はたいてい外国人から見ると意味不明だったり恥ずかしい内容だったりする。
天井高さいっぱいに造作された本棚には、面陳列、平置き、棚差しとさまざまな陳列方法を駆使して本が収納され、ところどころにドラクエに出てくる敵キャラのシャーマンがかぶっているお面のような、意味がわからないオブジェを飾る余白がとられていた。
ちなみに、シャーマンはたぶんお面はかぶっていない。お面みたいな顔をした、ちょっと面倒なだけの雑魚キャラだ。
棚には丸いパイプの上を走る滑車付きの梯子が設置されていて、手が届かない所の本が手に取れるようになっている。しかし訪れる客がこれを左右にゴロゴロと動かして、目的の本を手に取るシーンにはお目にかかったことがない。
見るからに丈夫そうなステンレスの丸パイプで組まれた梯子は、表面は鏡面仕上げになっていて、目の前に立つと真正面から見た魚みたいな顔になった自分を映し出してくれる。
鏡面仕上げは周囲の景色を映し込んでいるから、素材そのものに色はないはずだが、何色かと聞かれたら銀色と答えるのはなんでだろうか。
鏡はガラス面に銀引きという加工を施して作る。実際に銀を使うのだから、やはり銀色で間違っていないのだけど、見えている像は自分の顔の肌色や、背景に映るダサいパステルグリーンのシャワーカーテンだったりするので、やはり銀色ではない。それでも銀色なのは、製作過程を知っているゆえのバイアスなのかと思ったが、小さい頃から銀色と認識していたのでそれも違う。
となると考えられるのは、物質を100%映し込ませる素材は物理的に存在しないはずだから、映っている像には数%の銀色のフィルターがかかっているという説だ。そうに違いない。知らんけど。
客が頻繁に使用すると、鏡面仕上げの表面は皮脂を朱肉代わり押印した指紋ですぐにいっぱいになるだろうし、土足で登り降りした時の傷も目立つだろう。そう考えると仕上げはヘアライン仕上げの方が向いているように思うのだけど、この梯子はそれらの機能よりも、マットな質感の紙や木材とのコントラストを描き、キラキラと周囲を映し出す性能で店内を華やかに印象づける機能を優先しているのだと思った。
白々しい蛍光灯で均質に照明されたのっぺりとした大型書店の空間とはうって変わって、洞窟の中を懐中電灯ひとつで探検し、宝探しをするようなワクワク感のある雰囲気がつくられていた。
本屋なのに暗い雰囲気があっても良いのだと、ツルツルのデザイン脳にシワを一筋刻むことができたが、これまで述べてきたような店の雰囲気を後日友人に伝えようと、語彙能力を総動員して出てきた言葉は「おしゃれ」だった。
せっかく刻まれたシワはきれいさっぱり消え去った。
そんな洋書店の脇にある階段を登り事務所の入口扉を開けて、芳醇な香りがするソファが鎮座した打合せ室の前を通り、さらに扉を開けたところにコーヒーを入れることができるミニキッチンがある。
そこは作業ができる床面積に比べて気積が格段に大きくかつ天井が高く、空調もされていない部屋だった。
部屋というより、階段の踊り場だった。