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【『パンと牢獄』連載②】チベットならではのエスプリの利いた諺(ことわざ)

『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』の著者、小川真利枝さんが、いつかコロナ禍がおさまり、ドゥンドゥップと娘たちの来日が叶うその日まで(⁉)、自身が体験したチベットにまつわるあれこれを語ります。今回は、チベットの諺について。

『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』詳細


「あなたの大切なものは何ですか?」

2007年、大学4年生の最後の春休み、わたしはチベットへひとり旅をしました。はじめてのチベット。中学生の頃から憧れていた地に足を踏み入れるという興奮と緊張で、張り切って荷造りをした記憶があります。いまでも忘れられません。高山病を恐れていたわたしは、何を血迷ったのか、東急ハンズで「酸素発生器」を購入し、小さなバックパックに詰め込んだのです。「これで万全!」と。バックパックの3分の1を占めるほどの大荷物となったそのキットは、かの地で一度もその役割を果たすことはなかったのですが、バックパックを探るたびにごろごろと手に触れた感覚だけはいまでも鮮明に覚えています。「大丈夫、酸素発生器があるから大丈夫」。心のなかで何度もつぶやき、まるでお守りのようになっていました。

 当時、わたしは旅をするたびに、ある写真のプロジェクトをしていました。それは、出会ったひとに「あなたの大切なものは何ですか?」と質問をして、それを画用紙に描いてもらい、その画用紙と本人を写真に撮るというものです。これは、テレビ放送創成期の立役者である萩元晴彦さんと劇作家の寺山修司さんがつくったドキュメンタリー『あなたは…』(TBS・1960年)から着想を得ています。ブータン、ネパール、日本……。さまざまな場所で、老若男女問わずたくさんのひとに同じ質問をして絵を描いてもらい、写真を撮影してきました。

 チベットのある町で、「あなたの大切なものは何ですか?」と質問して描いてもらったときのことです。わたしがチベットを旅した2007年は、2008年のチベット蜂起前だったこともあり、裏技を使えば、ひとり旅ができる環境でした。わたしは小さな町に1週間ほど滞在し、毎朝毎夕と巡礼をしながら写真プロジェクトをしました。そんなとき、ある違いにハッとしたのです。


写真

 左は、その町の僧侶を撮影した写真です。画用紙にはチベット語で「オンマニペメフム」(チベット仏教の真言)と書かれています。右の写真は、その町への道すがら出会った10代の少女ふたりです。左側の少女が、漢語で「中国人民」と書いています。ほかにも同じように質問をすると、年配のひとはチベット語で文字を書くことが多いのに対し、学校教育を受けているくらいの10代の若者は漢語で書くのです。もしかしたら、わたしを中国人(漢人)だと思い、気を利かせて漢語で書いてくれていたのかもしれません。それでも、年齢によって書く文字が異なるということに、目を洗われる思いでした。大げさな表現かもしれませんが、この場所は、いま文化が揺らいでいる……そう思ったのです。

 それからチベット語に惹かれていきました。もしかして、失われてしまうかもしれない言語。もちろん、チベットでは公教育でチベット語を学ぶことはできますし、チベットの一般的な家庭はチベット語で会話をしています。ただ公教育でもメインは漢語(授業は漢語で行われる)であり、公用語である漢語ができないと高収入の仕事にも就けません。あるチベット人は「経済的に豊かに暮らすためには、チベット語は必要ない」といいます。しかし、チベット語を学ぶと、その奥深さと美しさに驚かされます。詩の世界は妖艶で、クスッと笑える諺がたくさんあります。韻を踏むのもお得意で、これでもかというくらい踏みまくり、耳にも心地いいのです。ぜひ一度、チベット仏教の声明を聴いてみてください。まるで民謡を聴いているかのような美しい声音が体の芯まで響き、いつのまにか深い眠りに……(ほんとうは眠ってはいけません!)。

 どうしてもチベット語で会話をしたい。そんなふうに思い、わたしはチベット語の勉強を始め、ダラムサラ滞在中には多くの時間を割きました。どのような勉強をしたのかについては、次回に詳しく書くとして、その際にほんの少しかじったチベットの諺を紹介したいと思います。チベットのひとびとのあいだでは、「諺(例え)のない話しかたなんてあり得ない」といわれるくらい日常会話でも文学でも諺を多用し、エスプリが利いています。わたしのチベット語の先生が諺に造詣が深かったこともあり、たくさんの諺を教わりました。ここではチベットならでは! と思った諺をいくつかご紹介します。

②広い心

議論するなら広い心を、野生の馬には長い手綱を。  

①チャンス

チャンスはすぐにつかまないと、後悔は馬で追いかけてもつかめない。 

 “チャンスの神は前髪しかない”のチベット版でしょうか。どちらも教訓のような諺ですが、「馬」を例えに使っているところに、大草原を馬で駆け抜けていくチベットのひとびとを想像させます。次にチベット仏教ならではの諺を。

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その首より長くなったら餓鬼、その底より深くなったら地獄。

 「何ごとも度を越すと良くない」という意味。先生曰く、チベット仏教の世界観では、餓鬼は首の長い生き物なのだそう。なので、食べ物がなかなか胃袋に到達せず、いつも飢えているのだとか。この諺“足るを知る”という彼らの価値観を表現しているようにも思います(日本で暮らすチベットの友人に聞くと、ちょっと変な諺だと言われましたが……)。ほかにもこんな笑っちゃう諺も。

④酔っ払い

酔っ払いの話と、夜中のオナラ。

「無意味であって、無視すべき」という意味だそう。万国共通ですね……。こうして学んでいくなかで見つけたのが、拙著の最後にも書いたこの諺でした。

⑤キャン

キャンは南で死んでも、頭は北を向いている。

 チベット北部の高原に生息するキャン(チベットノロバ)が南で暮らしていたとしても、死ぬときには故郷の北の方角を向いている、という意味で「たとえどれだけ故郷から離れようと、心は故郷にある」という諺です。難民となって世界中に散り散りになったチベットのひとたちの心を表しているかのような諺に、ぐっと心をつかまれました。 

 「あなたの大切なものは何ですか?」。チベットでこの写真プロジェクトをして、もっとも心に残っている少年がいます。その少年は、宗教でも国でもなく「ぼくの家」だと答えてくれました。

写真③

 1959年にチベットからインドへと亡命し、“世界でもっとも有名な難民”といわれるダライ・ラマ14世は、『ナショナルジオグラフィック』(2019年8月号)のインタビューのなかで、こんなことを語っています。

「小さな家を一つ失った」代わりに、「大きな家を見つけた」(中略)「世界です」

 2007年に出会ったあのチベットの少年は、2008年を越え、いまどこで、どうしているだろう。彼の“大切なもの”はいまも変わらず同じ“家”なのだろうか……。ときどきふと、思い出すことがあります。

 次回は、わたしのチベット語学習記をご紹介したいと思います。

※チベットの諺についてソナム・ツェリンさんにご協力いただきました。
 

●著者プロフィール
小川真利枝(おがわ・まりえ) 
ドキュメンタリー作家。1983年フィリピン生まれ。千葉県で育つ。早稲田大学教育学部卒業。2007年テレビ番組制作会社に入社、2009年同退社、フリーのディレクターに。ラジオドキュメンタリー『原爆の惨禍を生き抜いて』(2017)(文化庁芸術祭出品、放送文化基金賞奨励賞)、ドキュメンタリー映画『ラモツォの亡命ノート』(2017)などを制作。 『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』が初めての著作。

パンと牢獄_書影オビあり


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